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二人の距離、近すぎ♡偉人画集『前賢故実』に描かれた飛鳥時代の武将・大野果安と田辺小隅

二人の距離、近すぎ♡偉人画集『前賢故実』に描かれた飛鳥時代の武将・大野果安と田辺小隅

敵の大軍を夜襲で破るも……

果安「このままでは分が悪い。一度引き返そう」

小隅「馬鹿な、ここで手を止めては敵が勢いを取り戻しましょうぞ!」

ここで戦術性の違いから二人は決別。大野果安が引き返した後、田辺小隅は残った手勢で倉歴を突破するべく思案します。

「真っ向から攻めては損害が大きい。よし、夜襲をかけよう」

という訳で、田辺小隅は兵馬に枚(ばい。口に入れて声を出さないようにする道具)を含ませて幟を巻き、敵味方を識別する合言葉を決めました。

「よいか。此度の合言葉は『金』とする。仲間から『金』と呼びかけられたら『金』と答えたら味方だから斬らぬように」

果たして夜襲をかけたところ、数を恃みに油断していた敵の軍勢は大混乱。敵将・田中足麻呂(たなかの たりまろ)は命からがら逃げ出します。

「古来『兵は神速を貴ぶ』と言う。我ら少数ながら精鋭、この勢いで一気に莿萩野(たらの。現:三重県伊賀市)を抜こうぞ!」

……と意気込んだ田辺小隅でしたが、この地を守る敵将・多品治(おおの ほんじ)率いる三千の軍勢に行く手を阻まれてしまいました。

「もはやこれまでか……退け、退け!」

連戦に疲れ果てていた田辺小隅の将兵らは散り散りになって敗走。田辺小隅も這々の体で逃げ帰ったということです。

終わりに

大野君果安。田辺史小隅。倶 帝大友将也。壬申歳吉野皇太弟兵起。其将大伴吹負。陣乃楽山果安討大破之。吹負僅得脱身。果安追北至八口。登丘遠望。察有伏歛軍。小隅夜半銜枚巻幟。踰鹿深山。襲破田中足麻呂所守倉歴営。足麻呂窘窮偽唱暗号遁厺。小隅又進襲莿萩野営。不利而還。

※菊池容斎『前賢故実』巻第二より

その後、田辺小隅についてはどうなったのか(討死したのか、処罰されたのか等)史料に言及がありません。

一方の大野果安は指揮官を更迭されたものの、戦後に赦されて天武天皇・持統天皇に仕えたと言います。

結局、菊池容斎がなぜ二人をあんなに密接させて描いたのかは謎のまま。単なる想像(妄想?)ということはないでしょうし、何か根拠となる伝承でもあったのでしょう。

二人の親密な距離感はいったいなぜなのか……今後の究明が俟たれますね。

※参考文献:

  • 宇治谷孟『全現代語訳 日本書紀 下』講談社学術文庫、1988年8月
  • 菊池容斎『前賢故実 巻第二』雲水無尽庵、1868年
 

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