武装解除の日本史!「刀狩り」は戦国時代の豊臣秀吉だけではなかった【前編】:2ページ目
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最も有名な豊臣秀吉の政策
そんな戦国の世も、織田信長や豊臣秀吉の登場により少しずつ天下統一へと向かっていきます。
そして、秀吉による天下統一が目前となった天正16年(1588年)に発布されたのが、有名な「刀狩令」です。
秀吉の刀狩令は、地方領主に向けた「刀狩令の内容と実施する理由」と庶民に向けた「実施内容」、「発令した理由の説明」3つの条例からなっていました。
このまま天下が統一されて戦がなくなったとしても、寺社勢力や大勢の農民達が武器を所持したままではいつ大規模な一揆が発生してもおかしくありません。
刀狩りは、殺伐とした戦国乱世から平和な世を実現するためにも必要な政策だったのです。
また集められた武器を鋳直して方広寺の大仏造立に使うことにより、功徳があるとして民心の安定につなげる狙いもありました。
しかし、秀吉の本当の狙いは武士と農民の階級を明確に分ける「兵農分離」を進めることにあったと言われています。
当時、日本刀は単に武器としてだけではなく、成人男性にとって責任や誇り、名誉を象徴する精神的な意味合いも持つ特別なものでした。
それを帯刀できる者を武士のみとして特権階級化する事により、農民は武士よりも低い身分の者として明確に区別されるようになったのです。
この政策は近世封建体制の基礎となり、江戸時代の士農工商の制度へと繋がっていきました。
次回の【後編】では、明治時代以降に日本で行われた「刀狩り」について調べていきます。
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