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呪術を駆使して疫病退散!古代日本人を苦しめた、現代にも通じる恐るべき感染症との戦い

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呪術を駆使して疫病に対処

奈良時代に都がおかれていた平城京の遺跡からは、「南山のふもとに、流れざる川あり。その中に一匹の大蛇あり。九つの頭を持ち、尾は一つ。唐鬼以外は食べない。朝に三千、暮れに八百。急急如律令。」という内容が記された木簡が出土しています。

これは呪符のようなものだったと考えられています。

唐代の医学書『千金翼方』にも似たような呪符に関する記述があるので、おそらくこうした呪術の「技術」が中国から輸入されていたのでしょう。

つまり当時の人々にとっては、これはただのまじないではなく医療のひとつだったと思われます。

ほかにも、病気は神仏のたたりであり、疫病は政治が間違っているせいで起きるのだと信じられていたことから、疫病の流行のたびに大規模な祈祷が行われました。

こうした疫病を鎮めるための祈祷や儀式はのちに形を変え、現代の節分の豆まきや、ひな祭りの行事として残っています。

今にも通じる人々の工夫

天然痘の大流行によって、時の権力者であった藤原武智麻呂、房前、宇合、麻呂の四兄弟が命を落とした際には、都の政治はたいへんな混乱に陥りました。

同じ時期に地震や飢饉が相次いで起こったこともあり、聖武天皇は社会の不安を取り除くべく東大寺盧舎那仏の造立に取り掛かったといわれています。

もちろん、当時の人々がこうしたまじないや神仏への祈祷にばかり頼っていたわけではありません。

まずは体を冷やさないこと。重湯などの消化の良いものを摂取し、生魚や生野菜、生水などは口にしないなどの対策が取られました。

医学や科学が発達していなかった時代でも、その予防法は「なんとなく」分かっていたんですね。どれも、現代に通じる対処法ばかりです。

当時の人々もまた、でき得る最大限の対策を講じて実践し、疫病に立ち向かっていたのです。

しかしながらこの時の大流行によって、当時の日本の人口の約三割もの人々が犠牲になってしまったといわれています。神や仏に祈り、助けを乞う当時の人々の気持ちが痛ましいほど伝わってくるようです。

古代日本の人々が、どんな疫病に苦しめられてきたのか、数少ない記録からも垣間見えてきますね。

 

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