願いが叶わないと斬首!江戸時代から伝わる”顔のない〇〇坊主”の宿命とは?:2ページ目
てるてる坊主の由来は?
もともと、てるてる坊主は平安時代に中国から伝わってきた「掃晴娘(サオチンニャン)」という女の子の伝説が由来だとされています。
この掃晴娘の伝説は、豪雨で都が滅びそうになった時に、一人の美しい女の子が生贄となって雨を止ませたというものです。掃晴娘のおかげで、空はまるでホウキで掃いたように晴れ渡り、そして残された人々は彼女が得意だった切り絵でもって偲ぶようになったのです。
だから「掃晴娘」と呼ばれており、中国では今も、ホウキを手にした掃晴娘の紙人形で晴れを願う風習があるとか。まるで斎藤隆介の童話を思わせるお話ですね。
一方、日本には昔から「雨乞い」や「日乞い」など、おまじないによって天候をコントロールしようとする儀式がありました。この儀式にちなんだ日本独自の伝承もいくつかあります。
例えば、こうした儀式には僧侶が関わることが多かったため、いつしか晴れを願うおまじないにはお坊さんを模した「坊主」の人形が使われるようになったのだ……という伝承があります。
そして、中には血生臭いものもあります。儀式に失敗したお坊さんが、土地の権力者の怒りを買って首を斬られてしまいました。そしてその首を見せしめに吊るしたところ、途端に天候が回復したという伝承です。
だんだん、冒頭の「王殺し」の話と、掃晴娘と、てるてる坊主の「首をチョン斬る」という話が結び付いてきましたね。
結論を言えばてるてる坊主は、中国の掃晴娘の伝承と、雨乞いや日乞いに関わった者が首を斬られたという日本の話が結びついてできあがったおまじないの風習だと考えられています。そしてそれは、人類全体に共通する伝承や儀式のひとつのパターンなのです。
現代は、天候回復のおまじないをするくらいなら、スマホアプリで天気予報を見た方がずっと効率的といえます。今後、てるてる坊主という風習が廃れて忘れられていくのは間違いないでしょう。しかし、その起源を辿ってみると実は古来の民俗学的な風習に基づいていたことが分かります。こんなに身近なところに、古来の「おまじない」は息づいているものなのですね。
参考資料
オトナンサー『表情を描いちゃダメ? 晴天を願う「てるてる坊主」にも正しい作法があった!』
火田博文『本当は怖い日本のしきたり』(彩図社・2019年)