貪欲な知識欲と生命力!縄文時代の人々の知識や創造性の源流を探る:2ページ目
豊かな「食」をめざすことが脳トレ
縄文土器に見られる、力強さと芸術性にあふれた装飾は、彼らがただただ「採集して食う」だけの存在ではなく、たとえ煮炊き用の土器といえども、機能性だけでは飽き足らずついつい装飾してしまうような美意識を持っていたことを示しています。
あふれる知識欲と創造性――。多彩な味覚文化が、これらを支える大きな土台となったことは間違いないでしょう。
言うなれば、より豊かな「食」をめざしたことが、縄文人にとっては今で言う「脳トレ」のような効果をもたらしたのです。彼らは「食」に関する知識を貪欲に追求することで生物として進化し、進化することによって、さらに「食」をますます豊かなものにしていったのです。
縄文時代は「味の情報化時代」
縄文時代の「雑食性」は、人類全般の運命にも大きく関わっています。
人類はサルから進化しましたが、現在のような人間になれたかも知れない種は、約30種いました。しかし、私たちの先祖であるホモ・サピエンス以外は絶滅しています。
絶滅の要因はさまざまですが、特にホモ・サピエンスの最大のライバルだったとされるネアンデルタール人が滅びた理由は、彼らが「雑食」ではなく「偏食」で、気候など急激な環境の変化に耐えられなかったからだと言われています。
縄文時代というのは、言うなればわが国最初の「味の情報化時代」でした。山や海で季節ごとの旬のものを食べ、季節の変化に身体を対応させて、生命力を維持していた縄文人たち。実はそれは、ホモ・サピエンスという種の生き残りにも繋がっていった生き方だったのです。
彼らの貪欲な知識欲と生命力に、おそらく現代人は到底かなわないのではないでしょうか。
実際、私も含めて、現代社会に暮らす人のほとんどは、自分自身を取り巻く自然や社会についてろくに知らなくても生きていくことができます。
例えば、テレビの構造を知らなくても、テレビを購入して番組を観ることはできます。また必要に応じてインターネットで検索する習慣があれば、最初から知識を持っている必要はありません。専門的なことは、お金を出せば専門家に任せておけます。
現代は、人類全体としては膨大な知識を持っています。しかし、個人のレベルでは、古代の狩猟採集民族の方が歴史的に優れていたと言えます。なんと、平均的なホモ・サピエンスの脳の大きさは、狩猟採集時代を過ぎてからは縮小していったという証拠まであるそうです。
参考資料
- 永山久夫『イラスト版たべもの日本史』(1998年・河出書房新社)
- ユヴァル・ノア・ハラリ著、柴田裕之訳『サピエンス全史(上)-文明の構造と人類の幸福』(2016年・河出書房新社)
- 大和薬品株式会社『なるほど健康塾』掲載・「「雑食」が人類を進化させた」