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戦国時代、武将たちが名乗った「弾正」は京都洛中の風紀委員だった?

戦国時代、武将たちが名乗った「弾正」は京都洛中の風紀委員だった?

よく叙任される「弾正弼」、よく自称される「弾正忠」

さて、そんな弾正台ですが、一口に弾正と言ってもその中にもランクがあります。

(いん/かみ):1名
(ひつ/すけ):大弼1名、少弼1名
(ちゅう/じょう):大忠1名、少忠2名
(そ/さかん):大疏1名、少疏2名

その他、さらに下級の台掌(だいしょう)や巡察(じゅんさつ)などの役があり、それぞれ正式に叙任された者や自称した者がいました。

【正式に叙任された戦国武将の例】
上杉謙信……弾正少弼
上杉景勝……弾正少弼
織田信長……弾正忠
松永久秀……弾正少弼
など。

【弾正を自称した戦国武将の例】
織田信勝(信長の弟)……弾正忠
真田幸綱(幸村の祖父)……弾正忠
高坂昌信……弾正左衛門尉(永禄2年・1559年以降、弾正忠に改称)
保科正俊(信玄の家臣)……弾正忠
など。

こうして見ると、朝廷から正式に叙任されている武将は堂々と弼ランクを名乗る一方、勝手に(あるいは主君から認められた限りで)自称している武将については、やや控えめに弾正忠を選ぶ傾向があるようです。

信長の家系は、代々「弾正忠」を自称してきたため「織田弾正忠家」とも呼ばれますが、それを正式に朝廷から認めさせたことで、祖先たちの想いを結実させたのかも知れません。

また、弾正を自称した武将の多くは弾正忠を選んでいるようですが、高坂昌信の弾正左衛門尉(だんじょうざゑもんのじょう)というのは少しユニークですね。

終わりに

戦国時代にはすっかり形骸化していた弾正台ですが、その後も武士たちの間で誇りをもって称され、武士の世が過ぎる明治初期まで、法を司る機関として存続しました。

他にも戦国武将たちの名乗った官職はたくさんあるので、それがどんな内容なのか、調べてみると楽しいですよ。

※参考文献:
和田英松『新訂 官職要解』講談社学術文庫、1983年11月

 

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