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読めたらスゴイ!越後国の難読地名が苗字となった戦国武将・五十公野信宗のエピソード

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エピローグ

その後、かつて撃退した蘆名・伊達両氏の援軍も得たことで勢いを増し、6年間にわたって上杉景勝を脅かし続け、後世「新発田重家の乱」と呼ばれることになった謀叛でしたが、やがて蘆名氏と伊達氏が争うようになると、共に越後国から手を引いてしまいます。

これによって劣勢に転じた重家ですが、和睦の勧告も拒絶して徹底抗戦。家臣の討死や寝返りが相次ぎ、ついに信宗が守る五十公野城との連絡も寸断され、完全に孤立してしまいました。

「もはやこれまで……かくなる上は、一兵でも多く冥途の道連れにしてくりょうぞ!」

景勝の武将・藤田能登守信吉(ふじた のとのかみのぶよし)の大軍に完全包囲された信宗は最期まで奮戦しますが、調略によって家老の河瀬次太夫(かわせ じだゆう)らに裏切られ、天正十五1587年10月13日に討死。五十公野城も陥落したのでした。

ここに四代(※五十公野景家―弘家―治長―信宗)続いた五十公野家は滅亡、やがて重家も滅ぼされて越後国の勢力図は、大きく書き換えられていくことになります。

※参考文献:
「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典』角川書店、1989年9月
大場喜代司ら編『図説新発田・村上の歴史』郷土出版社、1998年12月

 

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