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豊臣秀吉の水攻めにも落城せず。”忍の浮き城”と呼ばれた関東七名城の一つ「忍城」【後編】

豊臣秀吉の水攻めにも落城せず。”忍の浮き城”と呼ばれた関東七名城の一つ「忍城」【後編】

江戸期から明治期の忍城

徳川家康が関東に移封されると、松平家の血脈を継ぐ大名が忍城を治めた。1600年の関ヶ原以降は一時的に幕府直轄の天領となる。

その後は、徳川3代将軍徳川家光のもとで出世した「阿部忠秋」の忍藩藩主就任をきっかけに、1639年から1823年まで阿部氏が藩主を歴任する。

幕末に阿部氏に変わって藩主となった松平氏は、5代藩主「松平忠敬(ただのり)」の時代に廃藩置県を迎え、忍藩は廃藩。1871年(明治4年)府県統合により埼玉県に統合された。

現在

昭和の前期にかけて廃城となり、城内の建造物のほとんどは撤去された。跡地は公園として整備され、現在では忍城行田市郷土博物館が会館している。

過去の文献や資料を基に「御三階櫓(天守)」が復興されており、位置や規模は当時のものと異なるものの、その面影を楽しむことができる。

〈参考資料〉
忍城おもてなし甲冑隊

 

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