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本当にみんな平等だったの?縄文時代が決してユートピアではなかったシンプルな理由

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そうした能力の差が身分制度にまで発展した形跡がないのは、仮に特権階級を設けたところで、そこに安座できるほど社会的な(人員・物資の)余裕、つまり身分制度を設ける意味がなかったと言えます。

縄文時代に身分制度がなかった(ように見える)のは、優秀な者ほど現場の最前線でリーダーシップをとらないとコミュニティが存続できない厳しい環境だったためと考えられます。

終わりに

稲作が伝わった弥生時代以降、食糧事情が大きく改善され、その結果として生まれた社会的な余裕と共に身分格差がハッキリしていったことは確かです。

しかし、だからと言って狩猟採集によって食糧を得ていた縄文時代が「みんな平等なユートピア」だった訳ではなく、むしろみんなが力を合わせなければ生きていけない厳しい環境だからこそ、食糧をめぐるシビアな生存競争が繰り広げられた事でしょう。

それこそ足手まとい(元から劣った者以外にも、怪我や病気で障害を負った者など)を切り捨てたり、村八分にしたり……。

まだ文字が使われていなかったため、そうした残酷な記録は残されていないものの、少なくとも「みんな揃って仲良しこよし」なユートピア(※この主張もまた、文字なきゆえの憶測に過ぎません)よりはリアリティが感じられるのではないでしょうか。

※参考文献:
山田康弘『縄文時代の歴史』講談社現代新書、2019年1月17日

 

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