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日本の領土を変えかけた男!?豊臣秀吉に台湾征服を直訴した豪商・原田喜右衛門の凄絶な栄光と転落

日本の領土を変えかけた男!?豊臣秀吉に台湾征服を直訴した豪商・原田喜右衛門の凄絶な栄光と転落

天下一統を果たした豊臣秀吉の野望は、日本国内だけにとどまりませんでした。

夢は大きく唐天竺(からてんじく。中国・インド)と膨張していく中、多くの家臣たちが東奔西走したと言います。

今回はそんな一人である原田喜右衛門(はらだ きゑもん)を紹介。果たして彼はどんな人物で、どんな活躍を果たしたのでしょうか。

秀吉に仕え対フィリピン使節に

原田喜右衛門は生年不詳、元は畿内出身だったと言います。それが思うところあってか長崎へ移り住み、商人としてフィリピン貿易を展開していました。

やがて洗礼を受けてキリシタンとなり、パウロと名乗りますが、後に棄教しています。

恐らく南蛮人コミュニティに近づけば商売もやりやすかろうと洗礼を受けてみたものの、後に秀吉がキリシタンの規制に乗り出すと、商売に不都合と思って棄教したのでしょう。

豊臣秀吉によるキリシタン規制に関しては、こちらの記事も合わせてご覧ください。

【豊臣兄弟!】日本人奴隷の売買に激怒?秀吉「伴天連追放令」の理由と、信仰を貫いた高山右近の最期

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この変わり身≒忠誠アピールが功を奏したのか、天正19年(1591年)には秀吉からフィリピンへの外交使節に抜擢されました。

喜右衛門は部下の原田孫七郎(まごしちろう)と共に、秀吉の親書を持って当時スペイン領であったフィリピンのマニラを訪問します。

孫七郎は同じ苗字ですが、親族ではなかったようで、恐らくは才覚を見込んで喜右衛門が屋号を共有した(させて)のでしょう。

そんな喜右衛門たちはフィリピン総督のゴメス・ペレス・ダスマリニャスと謁見し、日本に対して朝貢するよう要求しました。

果たしてダスマリニャスは秀吉の態度をどう思ったのでしょうか。歴史の結果を鑑みると、夜郎自大と鼻で笑っていたのかもしれませんね。

2ページ目 フィリピン・台湾進出を進言するが……

 

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