『豊臣兄弟!』仏罰はすべて引き受ける!秀長の覚悟に震えた第37回…蜂須賀正勝の最高の“ナレ死”に涙
四国攻めの論功行賞によって大和一国を預けられた羽柴美濃守秀長(仲野太賀)ですが、大和は興福寺をはじめとする寺社勢力が牛耳っているため、一筋縄ではいきません。
「我らに逆らえば仏罰が下る」
裏で賊を操って領民たちを脅し続けていた磐覚(坂口涼太郎)の不正を暴き、民心をつかんだ秀長は国内の検地を実施しました。これで百姓たちの暮らしも豊かになることでしょう。
「仏罰はすべて、この秀長が引き受ける」
新しい国造りの覚悟が視聴者の胸を打った第37回放送「秀長の国」、今週も気になるトピックを振り返っていきたいと思います。
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蜂須賀正勝のナレ死
墨俣の築城作戦以来、ずっと羽柴兄弟と共に戦い続けてきた蜂須賀正勝(高橋努)が隠居する場面が描かれていました。
盛大なお別れ会が催された後、ナレーションで亡くなったことが紹介されていますが、実際に正勝が亡くなったのは天正14年(1586年)5月22日のことです。
劇中でも描かれたとおり、阿波国は嫡男である蜂須賀家政(はちすか いえまさ)に譲られ、家政によって粘り強く統治されていくのでした。
そんな末頼もしい家政の姿に安堵しながら、正勝は旅立っていったのではないでしょうか。
正勝は羽柴家臣団の中で、最も前途に希望あふれる時期に世を去った「勝ち組」と言えそうです。
ところで家政は今後登場するのでしょうか。可能性は低そうですが、もしかしたら居並ぶ諸将の中に名を連ねているかもしれませんね。
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秀長家臣団の新メンバーを紹介
今回から羽柴家臣団に仲間入りした小堀正次(萩原護)と羽田正親(平埜生成)の二人について、おさえておきましょう。
小堀正次(こぼり まさつぐ)
天文9年(1540年)生~慶長9年(1604年)没
二度にわたる出家と還俗を繰り返した挙げ句、小一郎に仕えた経歴があります。政治手腕を評価されて紀伊国や大和国の検地を手がけました。
劇中でも言及があったとおり、寺社勢力の強いこれらの国で検地を進められたのは、正次に僧侶の経験があったからかもしれませんね。
小一郎の死後は秀吉の直臣となり、秀吉の死後は徳川家康(松下洸平)に接近して命脈をつないでいます。また茶人として名を馳せた小堀遠州(えんしゅう)の父としても知られています。
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羽田正親(はねだ まさちか)
生年不詳~文禄4年(1595年)8月24日没
近江国の出身で、若いころの動静ははっきりしません。天正11年(1583年)に勃発した賤ヶ岳の戦いでは重要拠点を任されていた記録があるため、浅井滅亡後から仕えていた≒ある程度のキャリアがあったと考えられています。
天正13年(1585年)に秀長が紀伊国を与えられた際、藤堂高虎(佳久創)や横浜一庵(よこはま いちあん)らと共に和歌山城の普請を担当しました。
後に秀長の三家老(横浜一庵・小川下野守・羽田正親)に数えられるほど出世しますが、秀長死後に起こった秀次事件の責任を問われ、自害に追い込まれてしまったそうです。





