美しすぎた男装のイケメン女剣士・中沢琴の幕末奮闘記【中・戊辰戦争編】
前回のあらすじ
前回の上編はこちらから
美しすぎた男装のイケメン女剣士・中沢琴の幕末奮闘記【上・浪士組編】
時は幕末、浪士組に入れて貰えなかった上州の女剣士・中沢琴(なかざわ こと)は、男装して無理やり京都に同行。
しかし、京都に着くといきなり江戸への帰還命令が出され、京都残留を主張する壬生浪士組(後の新選組)に心惹かれるも、兄・貞祇(さだまさ)に説得され、仕方なく江戸に帰って来たのでした。
新徴組の一員として、江戸の平和を守る日々
さて、江戸に戻ってきた浪士組はまとめ役の清河八郎が暗殺(文久三1863年4月13日)されたことで尊王攘夷の意欲を失い、空中分解しかけたところを、幕臣である山岡鉄舟(やまおか てっしゅう)やその義兄・高橋泥舟(たかはし でいしゅう)らの主導で新徴組(しんちょうぐみ)に再編されました。
もちろん琴や貞祇は喜んで参加し、同年10月から晴れて江戸の市中警護や海防警備として江戸湾の見張りなどを担当しましたが、琴の「イケメン」ぶりは江戸の街でも大層な評判を呼んでいたそうで、女性も男性も追っかけが多く、やっぱり難儀していたそうです。
ところで新徴組には沖田林太郎(おきた りんたろう。新選組・沖田総司の義兄)や、思想の違いから壬生浪士組を脱退した剣客・根岸友山(ねぎし ゆうざん)など一廉の人物が名を連ねた一方で、甲州博徒の祐天仙之助(ゆうてん せんのすけ。この頃は山本と称する)など、浪士組の段階からこれと言った目的もなく参加し、惰性で居残っていたような志の低い者も少なからず雑じっていました。
そんな一部が生活苦かあるいは遊ぶカネ欲しさでしばしば乱暴狼藉に及び、同じ新徴組同士で取り締まったり取り締まられたりと言った不毛な事態が散発していました。
そこで幕府は明けて元治元1864年、新徴組を出羽国庄内藩(現:山形県鶴岡市)の譜代大名・酒井家(当主:酒井忠篤/さかい ただずみ)に預けてきちんと面倒を見させることとします。
庄内藩は暗殺された清河八郎の出身地という縁があり、また酒井家の幕府に対する篤(あつ)い忠義も高く評価されてのことでしょう。
これがまた後に琴たちの運命を大きく左右するのですが、ともかく江戸の平和を守るため、琴と貞祇たちは過激な攘夷派のテロ活動を取り締まるなど、懸命に奉公したのでした。
しかし、風雲急を告げる時代の奔流が、徐々に琴たちの傍近くまで迫っていきます。