美しすぎた男装のイケメン女剣士・中沢琴の幕末奮闘記【中・戊辰戦争編】:2ページ目
ついに暴発!江戸薩摩藩邸の焼き討ちに参戦
慶応三1868年ごろになると、倒幕の野心を露わにする薩摩・長州による幕府への挑発がエスカレートし、ついに江戸市中の警護に当たっていた庄内藩や新徴組の屯所(とんじょ。詰所)も襲撃を受けます。
事ここに至って、もはや堪忍袋の緒が切れた庄内藩は12月25日、軍監・石原倉右衛門(いしはら くらゑもん)を総大将に、上山藩・鯖江藩・岩槻藩・出羽松山藩と共同で兵一千を率いて江戸薩摩藩邸に進軍。
江戸薩摩藩邸へ逃げ込んだ襲撃犯の引き渡しを求めるも拒絶されて交渉決裂、激しい戦闘の砲火によって江戸薩摩藩邸は焼亡してしまいました。
一方の新徴組は薩摩藩・島津家の支族である日向佐土原藩邸の襲撃を担当。琴や貞祇も果敢に斬り込み、大いに活躍したそうですが、この戦闘で琴は左の踵(かかと)を斬られてしまいます。
この戦闘による死者は幕府側が11名、薩摩側が64名。薩摩藩が匿っていた過激派浪士112名を捕縛するなど大戦果を上げましたが、この事件が戊辰戦争(ぼしんせんそう。慶応四1868~明治二1869年)の引き金となり、日本を二分する大規模内乱の火蓋が切って落とされるのでした。