【豊臣兄弟!】「刀狩り令」はどこまで史実?町人を庇う秀長は脚色?秀吉が恐れた一揆と真の狙い:2ページ目
検地同様に全国的な規模で実施した刀狩り
太閤検地と同じように、実は刀狩りも秀吉が初めて行った政策ではありませんでした。
庶民が武器を持つことを禁じた歴史は鎌倉時代にまでさかのぼり、鎌倉市中で庶民の帯刀や夜間の弓矢の所持を禁止したことが『吾妻鏡』に記されています。
しかし、そのような動きが頻繁に行われるようになったのは戦国時代に入ってからで、刀や弓などの武器の徴収が諸大名によって行われるようになりました。
なかでもよく知られているのが、柴田勝家(山口馬木也)が越前の一向一揆を鎮圧した後に行った刀狩りです。勝家は帰順した農民たちに最早武器は必要なかろうと説き、彼らから徴収した武器を農具に仕立て直して与え、喜ばれたともいわれています。
また、織田信長(小栗旬)も、武器の所持を規制する政策を行っていたことがうかがえます。それは、信長が守護神として崇めた越前国二之宮である劔神社の1576年(天正4年)の史料に、寺社やその関係者に対する「刀さらえ(刀狩り)」の免除に関する記述が見られるからです。
このように、武器の徴収や所持の規制は、戦国大名たちによって行われていました。しかし、刀狩りが秀吉の専売特許のように語られるのは、「太閤検地」と同様に全国規模で実施することを目指した政策だったからです。
