【豊臣兄弟!】絶頂の兄弟を襲った暗雲!秀吉の『北野大茶湯』がたった1日で中止になった本当の理由:4ページ目
ドラマでは一揆の知らせと刃傷沙汰が
ドラマでは、『肥後国衆一揆』の知らせが届いた説を取り入れるようです。
また、『北野大茶湯』は、秀次(山田涼介)が言い出しっぺで提案し、秀長(仲野太賀)がまだ時期が早いと反対します。
さらに、会場で秀吉の「キリシタン追放令」に恨みを抱く者による刃傷沙汰が……これは、ドラマオリジナルのストーリーでしょう。
ただ、秀吉が『バテレン追放令』を出したのは、北野大茶湯の数ヶ月前の6月19日です。
九州攻めの帰り道の博多でのことでした。
その内容は、「宣教師を20日以内に国外退去させる」などで、理由としては、
・キリシタン大名が領地内の寺や神社を壊し領民に改宗を迫った
・長崎一体が宣教師が治めるようになり武器を貯えるようになった
・入信しない日本人が奴隷として売られた
・キリスト教で結びついた領民と大名の一揆を防止
など。
ドラマでも描かれますが、キリシタン大名で利休七哲にも数えられる高山右近(市川知宏)は、大名の地を捨て信仰を選びました。
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実際、『北野大茶湯』の前に発令された「バテレン追放令」でいろいろと失った人がいたのは事実のようです。そのためドラマのような刃傷沙汰にはならずとも、「恨みを抱く者」がいたことはあったかもしれません。
北野天満宮に現代も伝わる茶会のなごり
北野天満宮では、現代でも北野大茶湯の名残を見ることができます。
また毎年12月には『献茶祭』が。
豊臣秀吉公が、天正15年(1587)10月1日に催した「北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)」に由来する430年余りの歴史をもつ祭典。
京都の4家元2宗匠(藪内家・表千家・裏千家・武者小路千家・堀内家・久田家)が6年毎に輪番で奉仕し、御神前に供える献茶式を行った後、境内外各所に茶席を設け、ご参拝の方もお茶を楽しむことができます。(「北野天満宮」12月1日献茶祭)
以下の場所で当時を偲ぶこともできます。
⚫︎太閤井戸:秀吉が茶会のときにこの井戸で水を組んだと伝わる。
⚫︎御土居:天正19年(1591)に秀吉が京を囲んで築いた土塁。北野天満宮の境内に一部が残る。
⚫︎本殿:慶長12年(1607)、秀吉の子・秀頼が造営した。
最後に
皆が身分や貧富など関係なく垣根を取り去り、一つの場所で「茶の湯」を楽しむ。
まるで、ドラマの中で信長が秀吉に伝えた「この空のように、境目のない世の中を作りたい」を実現したようにも感じます。
けれど、そんななごやかな空気だけで終わらない豊臣政権。
天下人になりたくて、「お天道さま」に近づけば近づくほど、我が身に受ける光は強くなります。
そして、その分、自身の後ろにできる影は色濃くなっていくもの。
そんな兄弟の今後はどう描かれていくのでしょうか。
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参考:
・北野天満宮公式HP
・北野大茶湯輯成
・秀吉の智略「北野大茶湯」大検証竹内 順一・田中 秀隆・中村 修也・矢野 環







