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【豊臣兄弟!】絶頂の兄弟を襲った暗雲!秀吉の『北野大茶湯』がたった1日で中止になった本当の理由

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持ち運び可能な「金の茶室」を中央に

『北野大茶湯』は、京都・北野天満宮の拝殿を3つに区切り、中央に秀吉自慢の「黄金の茶室」を運び込んで、秀吉の名物の茶道具を並べるという贅沢なもの。

主に秀吉と千利休・堺の商人津田宗及と今井宗久の三人が茶頭を務めました。

かの有名な「黄金の茶室」は、壁や障子の骨、柱や敷居までが「黄金」で、障子や畳み表は「真っ赤」だったとか。すごく気分的に疲れそうなカラーリング。

配色のセンスはともかく、特徴的なのは茶室は3畳ほどのコンパクトサイズの組み立て式で、いろいろなところに持ち運びできるタイプだったこと。

行く先行く先で、自分の財力や権力を誇れる……「経費をかけたぶん、その数倍も元を取る」なかなか現代のビジネスに通じるアイデアですね。

茶会の当日は、京都はもちろんのこと大阪、堺、奈良からたくさんの人々が参加して、総勢800〜1,000人ほどだったといわれています。

参加者は身分を問わず公平にくじ引きで利休や秀吉などの各席に数人ずつ招き入れられ、御自慢の名物を用いて茶を供されたそうです。

秀吉は、午前中は茶を振る舞い、午後は会場を巡回視察していたとも伝わります。

一大イベントがたった1日で終わったわけ

この一大イベントが、なぜたった1日で終了したのか?の原因については複数の説があります。

⚫︎1日の夕方、肥後(現在の熊本県)で勃発した『肥後国衆一揆』の知らせが届いたから……というのが通説のようです。

處が、この催しも、九州征伐で熊本を興へた佐々成政が、検地が八釜しかつたがために、一揆が起こつてをり、その注進が頻々と来るやうになつたため、一日でピッタリ止めたといふのは、太閤の気前がよく現はれている所だと思ひます。(北野大茶湯輯成『北野大茶湯回顧』千 宗守宗匠)

けれど、一揆は7月から始まっていたために10日1日に初めて知ったとは考えづらいという説も。

いずれにしても、九州国分けで肥後一国を与えられた佐々成政は一揆を抑えきれずに責任を問われて切腹することになります。

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NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」 の第6回放送「兄弟の絆」で、織田信長(小栗旬)の命を受け、大沢次郎左衛門(松尾諭)の従者の荷に、刃先に毒が塗られた苦無(くない)をこっそり忍ばせていた佐々成政(白洲迅)…

⚫︎思ったより人数が集まらなかったので、これ以上恥をさらさないため。(京都人の反応を知る試金石だったのに当てが外れた)

⚫︎多くの参加者に茶を立て続け秀吉が疲れてしまった。

⚫︎1日で秀吉の自己顕示欲が満たされてしまった。

⚫︎10日間の予定だったが当日1日に変更になった。

など。

秀吉はこの茶会で、京都人に自分の権力や自分が茶湯のトップであることを知らしめるために開催したのに、思ったよりも人が集まらず、悪口を言われる前に「傷が浅いうちに中止しよう」という説も、頷けるような気もします。

4ページ目 ドラマでは一揆の知らせと刃傷沙汰が

 

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