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【豊臣兄弟!】さよならの予感…蜂須賀正勝(高橋努)が秀吉に捧げた不滅の“友愛”と史実が伝える最期

【豊臣兄弟!】さよならの予感…蜂須賀正勝(高橋努)が秀吉に捧げた不滅の“友愛”と史実が伝える最期:4ページ目

「長宗我部元親との降伏交渉」で重要な役割を

実際、天正13年(1585)の『四国征伐』の翌年、正勝は病にふせりがちになり京都で養生します。

一旦は回復して大阪に戻るも、5月22日、楼岸の邸宅で死去しました。

今回、ドラマで取り上げられた「長宗我部元親との降伏交渉」ですが、史実でも正勝は重要な役割を果たしたと伝わります。

秀長の指揮下で実質的な交渉役を担ったり、秀吉と元親のパイプ役を務め、元親の赦免を取り付けたり。その働きぶりに、元親側から謝意の書状が送られたそうです。

四国出兵の後、長宗我部元親から蜂須賀正勝に送られた書状。文中において元親は、秀吉の赦免が得られたことについて、正勝の取りなしによるものと丁重な謝辞を述べる。……中略……

そして元親は、今後においてより一層の「指南」を、正勝に望んでいるのである。四国に覇を唱えた大名が平身低頭して懇願するほどに、「秀吉の片腕」としての正勝の影響力は絶大なものがあったのだろう。(徳島市HP(長宗我部元親書状より)

正勝は、これらの功績から秀吉から阿波一国を与えられようとしたますが、「高齢で秀吉の側を離れたくない」と辞退し息子・家政に譲っています。

史実でも、秀吉は、正勝を「軍師」的な存在として黒田官兵衛と並び称されるほどの実務能力・交渉力を評価していたそうで、秀吉は生涯を通じて側近として重用していたようです。

『蜂須賀家記』や後世の研究などの細部では諸説がありますが、蜂須賀正勝の目付としての出征、木津城などでの説得開城、阿波拝領の辞退と家政への継承は、史実として比較的一致して伝えられているようです。

ドラマではワイルド感の強い、優しい武闘派にみえた正勝ですが、実際は武辺一辺倒の人物ではなく、調略・外交・実務に長けた「知将」とし評価されています。

秀吉の天下取りに、正勝の存在は不可欠だったのでしょう。

最後に

ずっと活躍していた登場人物が一人減り二人減りと、寂しさがつのる「豊臣兄弟!」。

次回の予告をみると、正勝が持った器をポロリと取り落とす場面が。四国征伐後なので、いよいよ表舞台から去っていくのでしょうか。

主君に対等な立場でものをいえた「最後の豊臣の良心」。

今作の高橋努さんが演じる蜂須賀正勝は、本当によき人間・よき漢でした。

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参考:

『蜂須賀小六正勝』星 亮一

徳島市HP

 

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