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『豊臣兄弟!』「織田家になど生まれなければ」信雄の暴言は単なる創作か?壮絶な半生と父への複雑な思い

『豊臣兄弟!』「織田家になど生まれなければ」信雄の暴言は単なる創作か?壮絶な半生と父への複雑な思い:3ページ目

幼くして北畠家へ、そして岳父・北畠具教の粛清へ

1569年(永禄12年)、信長は伊勢の名門・北畠氏と戦い、その和睦条件の一つとして、幼い信雄を北畠具房の養嗣子としました。

信雄は北畠家の後継者として伊勢へ入り、やがて北畠家の家督を継ぎます。しかし、これは決して穏やかな人生の始まりではありませんでした。

1576年(天正4年)、信長の意向を受けた信雄は、岳父である北畠具教や北畠一族の粛清に関わります。幼いころから自分を受け入れた北畠家の人々を、自らの手で排除していかなければならなかったのです。

しかも、嫡男・秀雄の母である正妻の千代御前(具教の娘)は、父や一族が殺されたことを知り自害してしまいました。

もちろん、戦国時代において政略結婚や一族の粛清は決して珍しいことではありません。しかし、幼いころから織田家と北畠家の間に置かれた信雄の人生が、精神的にも政治的にも過酷なものであった可能性は考えてよいでしょう。

一方、信忠はどうだったでしょうか。信忠は信長の後継者として父のもとに置かれ、織田家の軍事・政治を学びながら、徐々に家督を継ぐための道を歩んでいきました。

その生い立ちは、「敵対していた家の養子となり、その家を内側から継ぎ、やがてその一族の粛清に関わる」という、信雄のような過酷な立場ではありませんでした。

そう考えると、今回『豊臣兄弟!』で信雄が口にした、「織田家になど生まれなければよかった」という言葉は、単なるドラマ上の創作には見えなくなってくるのです。

このような史実を鑑みると、織田信雄を「暗愚な武将」の一言で片づけるのは、あまりにも簡単すぎるのではないでしょうか。

偉大な父・信長の名を背負い、おそらくはその期待と重圧のなかで生きた信雄。今回の一言は、そんな彼の心の内から湧き出た絶唱とも思われるのです。

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