史料に名前がない!“扇の的”の伝説的武将・那須与一は実在せず「複数人の合体」だった?:2ページ目
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実在か、非実在か
那須与一の伝説を考えるうえで、特に重要なのが『吾妻鏡』です。これは鎌倉幕府が編さんした重要な歴史史料で、先述した屋島の戦いについても記録されています。
ところが、その詳しい記録の中に、那須与一の名前は出てきません。「扇の的」の話もありません。
『平家物語』では、与一は基本的に屋島の場面だけにかろうじて登場しているだけ。一ノ谷や壇ノ浦など、ほかの大きな戦いには名前すら出てきません。
このため、屋島での英雄的な活躍が、後世に面白いストーリーとしてとして大きく膨らまされた可能性が指摘されています。
『平家物語』が琵琶法師らによって語られるうちに、実在した武将たちの断片的な活躍の記録が一人の英雄へ集められた、と考えることもできるでしょう。
京都の即成院には与一の墓があります。そこでは、那須与一は戦後に病を治して屋島へ向かい、出家して34歳で亡くなったという伝承も残っています。
しかし、この寺の縁起も室町時代に形成された「与一伝承」である可能性が高いとされます。
もちろん、史料に名前がないからといって、実在しなかったと断定できるわけではありません。ただ、華やかな扇の的の物語と、同時代史料に残る情報との間には、大きな差があります。
那須与一が実在した一人の武将だったのか、それとも複数の武将の記憶が一人の英雄にまとめられたのか。少なくとも、現在知られている「伝説の那須与一」が、そのまま史実だったとは言い切れないのです。
参考資料:日本史探求倶楽部『日本史裏話』株式会社アントレックス、2026年
画像:PhotoAC,Wikipedia
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