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『豊臣兄弟!』もう誰にも従わない!家康の決断に視聴者胸アツ、小鳥事件に賛否ほか…第34回を考察

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大坂に天下一の名城を!

劇中ではほとんど登場していませんでしたが、大坂城がある場所は、かつて信長らを悩ませ続けた石山本願寺の本拠地でした。

壮大な規模の名城は四期にわたる普請が行われ、最終的な形が出来上がったのは秀吉が世を去る慶長3年(1598年)だったそうです。もちろんその後も整備されていきました。

つまり本作主人公である羽柴小一郎(仲野太賀)が世を去る天正19年(1591年)時点ではまだ未完成の状態です。一体いつになったら出来上がるのか、心残りだったかもしれませんね。

豊臣家(羽柴家)の栄華と衰滅を象徴した天下の名城が、これから全貌を魅せてくれることでしょう。

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大阪市のシンボルとして名高い大阪城。しかし。この城郭は大坂の陣で落城した豊臣氏の大坂城を破壊し、土を被せて埋めた上に再建した城でした。築城は、徳川家康の没後14年の1630年代。この新しい大阪…

関東の覇者・北条氏政が初登場!

天正10年(1582年)6月以来、主を喪って大混乱に陥っていた甲斐・信濃両国を巡って、徳川家康と激しく抗争を繰り広げていた北条氏政(谷原章介)。彼はいわゆる後北条氏(小田原北条氏)の第4代当主で、南関東に歴代最大領域を誇っていました。

やがて秀吉の発した「惣無事」に対して危機感を覚えたのか、家康と同盟を結びます。家康は次女の督姫(ふう。生母は側室の西郡局)を北条氏直(うじなお。氏政嫡男で第5代当主)に嫁がせ、東国の安定化を図りました。

劇中では家康が氏政の誘いを断っていましたが、いざ挙兵するとなれば味方に引き入れない手はありません。後顧の憂いなく秀吉との決戦に臨むため、早急に根回しを行いました。

羽柴兄弟にとって最後のライバルとなる北条氏政の活躍を、これから楽しみに見守りましょう。

無礼にも程がある!北条氏政・氏直父子と対面した神の君・徳川家康は…【どうする家康】

会議や宴会などにおいて、上座下座と言った序列にこだわるのは日本人だけなのでしょうか。現代でもそうなのですから、とかく面子や名誉を重んじた武士たちは、そうした序列を守るのに命がけだったものと思わ…

信雄の野望「威加海内」心意気はいいが……

賤ヶ岳の戦いでは弟・織田信孝を粛清すべく秀吉と接近した信雄ですが、利用したつもりがすっかり秀吉に利用されてしまいました。

面白くない信雄は天正11年(1583年)7月ごろから「威加海内(いをかいだいにくわう)」という朱印を用いるようになります。

その意味するところは「俺の威厳を海内≒日本国中に行きわたらせる」というもので、亡き父・織田信長のカリスマを受け継ぎたい思いが表れていました。

が、実がともなっていなかったのは通説どおり。結局は家康に泣きつくことで、何とか秀吉との対決にこぎつける始末です。

果たして信雄の野望はどのような形で決着するのか、今後の展開に注目していきましょう。

【豊臣兄弟!】これは惚れる!織田信長の息子、信雄・信孝兄弟が実際に使っていたキャッチフレーズがカッコ良すぎ

戦国乱世を駆け抜けた革命児・織田信長は「天下布武」のキャッチフレーズで知られています。天下に武を布(し)く。武力をもって天下を平らげんとする信長らしい言葉と言えるでしょう。ところで、信…

3ページ目 胸を打った津川雄光の最期、ちょっと言わせて小鳥事件

 

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