14歳で初婚、結婚4回…朝ドラ『ブラッサム』石橋静河が演じるヒロインモデル・宇野千代の激動の生涯:2ページ目
2回目の結婚は元夫の弟と
地元に居づらくなった千代は恩師の伝手で朝鮮・京城(韓国のソウル)へ渡り、家庭教師やベビーシッターなどで生計を立てていました。
やがて遠距離恋愛だった正夫から絶縁状が届けられ、大正5年(1916年)に急遽帰国します。真っ先に正夫を訪ねて復縁を求めますが、完全に拒絶されてしまいました。
地元の朝鮮雑誌社に勤務して契約・集金などをしていたところ、元夫の弟である藤村忠と懇意になります。元夫と縁続きになることに抵抗はなかったのでしょうか。
そして京都で同棲し、大正6年(1917年)に忠が東京帝国大学に進学すると、一緒に上京したのでした。
上京した千代は忠と二人で、元夫の亮一とその恋人が同棲している部屋へ転がり込みます。まったくいい度胸ですね。
後に下宿先や職業を転々としながら、新聞『萬朝報(よろづちょうほう)』の懸賞小説で何度か入賞、賞金を得ることもありました。
また本郷の洋食店「燕楽軒」でウェイトレスのアルバイトをしていた時期に、菊池寛・久米正雄・佐藤春夫・芥川龍之介・今日出海(こん ひでみ)といった文士たちと知り合い、特に今東光(こん とうこう)とは親交を結んだと言います。
大正8年(1919年)に忠が帝大を卒業すると、千代は二度目となる結婚をしました。翌大正9年(1920年)に忠が北海道拓殖銀行の札幌支店に就職すると、二人で札幌へ移住したそうです。
新婚生活の中でも千代は文筆活動を続け、大正10年(1921年)に『時事新報』へ応募した懸賞小説「脂粉の顔」が一等当選を果たし、賞金200円を受け取りました。
文章がこれほどのカネになるのか。こんなに儲かるなら、書かなきゃいけない。驚いた千代は執筆活動に専念するようになります。
その後、雑誌社に原稿を送っても音沙汰がなかったので、確認のため大正11年(1922年)に一人で上京しました。
すると実は既に掲載されていたことがわかり、千代は原稿料366円という大金を受け取ったそうです。あまりの金額に驚いてしまった千代は、そのまま岩国の実家へ戻って継母のリュウたちに原稿料の一部を贈りました。