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【豊臣兄弟!】本能寺で信長に一番槍!森蘭丸を討ち取った武将・安田作兵衛の壮絶な生涯

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一番槍の大手柄

本能寺の変における作兵衛の活躍について、『翁草』ではこのように記述しています。

……本能寺にて、信長公ご生害の時、堀重門より御座の間の大庭へ乱入候は明智が家士箕浦大蔵丞、古川九兵衛、安田作兵衛なり、信長公は白き単衣を召し、初めは弓にて防ぎ玉ひしが、弦切れたる故、槍を召さるに、地紅の帷子着たる年二十七、八計りの女中、十文字の槍の鞘をはづし持ち来る、夫(それ)をお取り有りて広庭へ飛び降り給ひ、三人の者と槍にて暫く追い合ひ、そこを引き取り、座敷へ入らせ給ふに、未だ座敷に燭台消え残り、その燈の光に信長公の影、障子に移り(映り)けるを、安田作兵衛穂長の槍にて、障子越しに突く、その槍信長公の右の脇腹を刺して深疵なれば、叶はせられず、寝殿に入りて自害し玉ふ……

【意訳】本能寺の変に際して、真っ先に乱入してきたのは箕浦・古川・安田の三羽烏である。信長は寝間着のまま、弓矢を射て応戦したが、弦が切れてしまった。「槍はないか」と呼ぶと、紅色の着物を着た27〜28歳くらいの侍女が十文字槍を持ってきたので、信長はそれを取って庭へ飛び出す。しばらく三人相手に戦ったが、やがて信長は座敷へ下がる。室内に消え残っていた灯りが信長の影を障子に映したため、作兵衛が障子越しに槍を突き出す。槍は信長の右脇腹に深く刺さったため、信長は「もはやこれまで」と奥の間へ入って自害する。

また『美濃国諸家系譜』では信長への一番槍に加え、森蘭丸(成利)も討ち取ったことが記されています。

しかし敵もさるもの、作兵衛は森蘭丸の十文字槍で下腹部を突かれて負傷しました。

それでも致命傷にはならなかったようで、作兵衛は信長への一番槍、そして森蘭丸を討ち取った武功が認められたのです。

3ページ目 信長の祟りで発狂?

 

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