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【豊臣兄弟!】大河史に残る大爆散死!史実から極悪人・松永久秀の本当の姿と「平蜘蛛」の真相を読み解く

【豊臣兄弟!】大河史に残る大爆散死!史実から極悪人・松永久秀の本当の姿と「平蜘蛛」の真相を読み解く:3ページ目

「信長には断じて渡さん」と言い放った「平蜘蛛」

そして、もう一つの久秀の宝物が、第20話の主役『本物の平蜘蛛』です。

そもそも平蜘蛛とは、体調1cmほどの蜘蛛のことで地面に這いつくばったような姿が特徴だそう。茶器の「平蜘蛛」もその姿から名付けたもので、正式には『古天明平蜘蛛』といいます。

平蜘蛛釜は、底が浅く胴部の丈が低く口が広くなっていて、古代の中国では炊飯に用いられていたそうです。ほとんどはあっさりしたデザインで千利休の時代になると使われなくなったそう。それゆえ珍重されたのでしょうか。

史実では、九十九髪茄子を献上後、信長はことあるごとに平蜘蛛を所望し、そのたびに久秀は断っていました。

天正5年(1577)、信長軍の一員として大坂本願寺を攻めていた最中、久秀は突如として子の久通とともに戦線離脱。信貴山城(奈良県平群町)に戻り立て籠もります。

この二度目の謀反に驚いた信長は、松井有閑を派遣して理由を聞こうとするも、久秀は会おうともしません。さらに、信長は久秀に「平蜘蛛を差し出せば助命する」と伝えます。(ドラマではその役を豊臣兄弟が)

その際、久秀は「平蜘蛛の釜とわれらの首の2つは、信長公にお目にかけようとは思わぬ。粉々に打ち壊すことにする」と言い放ったと伝わっています。

信長は嫡男・信忠を総大将とし、明智光秀筒井順慶を主力とした軍勢を派遣し、同年10月、信貴山城を包囲し久秀を窮地に追い込み落城。久秀・久通父子は自害しました。

落城の際、久秀は天守で平蜘蛛を叩き割り、茶釜に火薬を詰めて爆死。首も茶器も木っ端みじんに砕け散ったという爆死説が有名ですが、話の出典は、江戸初期に成立した軍記物『川角太閤記』なので信憑性は低く、後の創作ではないか?といわれています。

また、「自らの手で平蜘蛛を打ち砕きそのまま焼死」「久秀の首と平蜘蛛は、鉄砲の火薬で木っ端みじんに砕かれた」という説も。

冒頭でご紹介したように、「豊臣兄弟!」のドラマでは、視聴者の熱い要望に応えて、豊臣兄弟を巻き込んだ派手な爆死となりました。

4ページ目 「平蜘蛛釜」の行方は…

 

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