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【豊臣兄弟!】大河史に残る大爆散死!史実から極悪人・松永久秀の本当の姿と「平蜘蛛」の真相を読み解く

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茶湯と茶器をこよなく愛する風流な茶人

久秀は、茶湯を愛する茶人でもありました。

奈良や堺の一流茶人との交際も多く『天王寺屋会記』『松屋会記』などの茶会記に記録も残っているそうです。

久秀が茶の湯の席に初めて記録に名を記すのは、まだ久秀が摂津芥川城にいた頃。亭主は堺茶道の祖・武野紹鴎、客は久秀と堺の豪商・今井宗久でした。宗久は後に信長・秀吉の茶頭を務めたほどの人物です。久秀は早い時期から堺の有力者たちと交流があったようです。

当時、一流茶人として認められるためには「名物茶器の所持」必須でした。久秀が特に大切にしていたのが、『九十九髪茄子』(つくもかみなす)という茶入れと『平蜘蛛』という茶釜でした。

「九十九髪茄子」は、室町将軍の中でも最も権力を持っていた3代将軍・足利義満秘蔵の茶入れです。8代将軍・義政の時代に所有者を転々としながら価値は上り、久秀が手に入れたときには、一千貫払ったという大変高価なものでした。(現代では約7,800万円とも1億超えとも)

久秀は、信長上洛の際、「忠誠の証」としてこれを献上、信長から大和国を任せられます。第11話『本國寺の変』でもこの場面が描かれていましたね。

久秀と組むことを足利義昭(尾上右近)に伝えた信長。悪い噂を「三好の流したデマ」と言い切り、「デマを信じていては天下を掴むことなどできますい」と煽り、重臣たちを一触即発のムードに。

その空気をぶち破ったのが秀吉の「屁」。屁をしたことを小一郎になすりつけ、「『屁』の濡れ衣を着せられ、松永殿の無念がわかりまする!」と物申し、一気に空気はお笑い展開になっていましたが。

戦禍をくぐりぬけた「九十九髪茄子」は今…

宣教師・ルイス・フロイスの記録では、信長は、明智光秀の謀反にあった本能寺にも「九十九髪茄子」を持ち込んでいたそう。

その後、本能寺の焼け跡から発見されて豊臣秀吉の手に渡り、子の秀頼に受け継がれ、大坂夏の陣で再び戦火に遭い、徳川家康の命で焼け跡から発見されました。

けれども破損していたため江戸時代前期の塗師・藤重藤巌の手で漆接ぎが行われ……と、戦禍をくぐり抜けてきた「九十九髪茄子」。

明治時代に三菱の岩崎家の手に渡り、現在は岩崎家の蒐集品を展示する『静嘉堂文庫美術館』の所蔵になっています。

手のひらに乗るようなコロンとしたルックスの「九十九髪茄子」。茶入れの中に入っている付喪神(つくもがみ※)が「あ〜、やれやれ。やっと落ち着いたわい」とでもいっているかもしれません。

※付喪神:長い年月を経た道具などに精霊(霊魂)が宿ったもの

3ページ目 史実でも「信長には断じて渡さん」と言い放った「平蜘蛛」

 

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