『豊臣兄弟!』で竹中半兵衛(菅田将暉)ついに登場!若くして無念の死を遂げた名軍師の生涯:4ページ目
若き命を戦陣に散らした最期
やがて秀吉が信長の命によって中国遠征の途につくと、半兵衛は調略を駆使して天正6年(1578年)5月24日に備前八幡山城(兵庫県赤穂市?岡山県赤磐市?)を攻略。この武功を信長から賞され、銀子100両を賜わったと言います。
また秀吉に仕えていた黒田官兵衛こと黒田孝高(倉悠貴)が、謀叛を起こした荒木村重(トータス松本)の説得に赴いて捕らわれてしまった際、信長は「官兵衛は荒木に寝返った」と思い込んでしまいました。
そこで人質にとっていた官兵衛の嫡男である松寿丸(後の黒田長政)を斬るよう秀吉に命じますが、半兵衛は松寿丸を家臣である不破矢足(ふわ やたり)の屋敷に匿います。信長には偽の首を差し出したのでしょう。
後に救出された勘兵衛は、半兵衛の計らいに心から感謝し、半兵衛から家紋をもらい受けました。家紋をいただくことは「あなたの分家になります≒下位に立ちます」というリスペクトの意思表示です。
命を懸けた友情の首実検!戦国時代の天才軍師、黒田官兵衛と竹中半兵衛の絆が胸熱すぎる!
かくして半兵衛と官兵衛の「二兵衛」が秀吉の両脇を固める軍師となり、ますます活躍するかと思った矢先、天正7年(1579年)4月に半兵衛が病に倒れてしまいました。
元から病弱だったそうで、秀吉は療養するよう勧めますが、半兵衛は「武士たる者は戦場で死んでこそ本望」とばかり好意を辞退。そして6月13日に36歳という若さで世を去ってしまったのです。
終わりに
今回は秀吉の軍師として活躍した竹中半兵衛について、その生涯をたどってきました。まだまだこれからという時に世を去ってしまったのは、無念極まりなかったことでしょう。
天才的な軍略家であり、若くして世を去った悲劇性から様々な伝説が生み出された半兵衛ですが、どれもこれも「あの半兵衛ならやりかねない」という人々の期待が感じられます。
果たしてNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では菅田将暉がどんな半兵衛を演じてくれるのか、そしてどんな奇想天外の策略を繰り出すのか、今から楽しみですね!
『豊臣兄弟!』理不尽すぎる粛清…15歳の美少女・駒姫、罪なき処刑へ——「秀次事件」の悲劇
※参考文献:
- 池内昭一編『竹中半兵衛のすべて』新人物往来社、1996年1月
- 菊地浩之『豊臣家臣団の系図』角川新書、2019年11月



