『豊臣兄弟!』で竹中半兵衛(菅田将暉)ついに登場!若くして無念の死を遂げた名軍師の生涯:2ページ目
斎藤竜興から稲葉山城を奪取するが……
永禄4年(1561年)に義龍が急死すると、その嫡男である斎藤竜興(濱田龍臣)に引き続き仕えました。
斎藤竜興の代になると、家中の動揺に乗ぜんとばかり、尾張国の織田信長(小栗旬)がしばしば美濃へ侵攻するようになります。
永禄6年(1563年)には半兵衛も織田勢と戦い、巧みに戦術を駆使して織田勢を撃退しました。
しかし竜興は勝利に驕って酒色に溺れ、政務を顧みなくなってしまいます。それを諫めた半兵衛や西美濃三人衆を遠ざけ、聞く耳を持ってくれません。
西美濃三人衆
- 安藤守就(田中哲司)通称は伊賀守。半兵衛に協力する。
- 稲葉良通(嶋尾康史)法名の一鉄は頑固一徹の語源に。
- 氏家直元(河内大和)法名の卜全(ぼくぜん)で有名。
斎藤竜興から信長に寝返り!『豊臣兄弟!』に登場の“美濃三人衆”が辿ったそれぞれの末路
美濃の斎藤氏を滅ぼしたのは織田信長だけではありません。斎藤道三(麿赤兒)・義龍(DAIGO)・竜興(濱田龍臣)に三代で仕えた家臣団「美濃三人衆」が、最後に下した決断が流れを決めました。忠義か、…
このままでは美濃が滅ぼされてしまう……前途を案じた半兵衛らは、永禄7年(1564年)2月6日、竜興の不在を狙って稲葉山城(後の岐阜城)を攻め獲ってしまいます。
わずかな手勢で周到に計画を進め、竜興の寵愛をいいことに政治を誤らせた斎藤飛騨守(ひだのかみ)ら6名の佞臣を討ち取ったため、竜興は恐れをなして逃亡しました。
ここで講談などでは「城を奪ったのは、あくまで殿(竜興)をお諫め申し上げるため」として、速やかに稲葉山城を返還するのですが、実際は半年ほど籠城・抵抗しています。
結局は多勢に無勢で稲葉山城を奪還されてしまったそうで、その後は身を潜めて隠遁生活を送りました。
そして永禄10年(1567年)に稲葉山城が信長に攻略され、斎藤竜興は再び逃亡。ここに戦国大名としての斎藤家は終焉を迎えます。

