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『べらぼう』は終わらない!総集編の放送前に心に残った感動の名場面を振り返る【吉原・遊女編】

『べらぼう』は終わらない!総集編の放送前に心に残った感動の名場面を振り返る【吉原・遊女編】:2ページ目

地獄から逃げたとて別の地獄にはまるだけ「いね」

第9話「玉菊燈籠恋の地獄」。足抜けをしたものの、あっという間に捕まった松葉屋のうつせみ(小野花梨)と新之助(井之脇海)。

女将のいね(水野美紀)に折檻され「わっちはただ幸せになりたくて…」と泣くうつせみに、「なれるわけないだろう、こんなやり方で!」と言い放つ、いね。

追われる身になったら、住まいは?人別(戸籍)は?食い扶持(仕事)は?と立て続けに問い詰めます。

「あんた養おうと、あいつは博打。あいつ養おうと、あんたは夜鷹。なれの果てなんてそんなもんさ!それが幸せか?ああ?」

いねの言葉は、非常にキツくて厳しい言葉ですが、残念ながらその通りでした。いねも元花魁で、松葉屋の主人(正名僕蔵)に見初められ女将になった人です。

仕事が過酷で耐えられず、足抜けで吉原から一時的に逃げたところで、その先に待っているのは“幸せ”ではなく“厳しい現実の生活”。金も戸籍も仕事もなければ、普通に生きていくことは難しいでしょう。

年季明けまで、惚れた男がいるのに他の好きでもない男に体を売らなければならない地獄から抜け出しても、より厳しい別の地獄に移るだけ。

生活苦に喘ぎ、“幸せ”になるはずの愛する相手の命を奪う結果になることも。そんな悲劇を知っているからこその、厳しい女将の言葉だったのかと感じました。

金のない博打と夜鷹のカップルというと、生まれた子も虐待するほど荒んだ生活を送っていた、唐丸(歌麿/染谷将太)の鬼母親と愛人の末路を思い出します。

3ページ目 クールな遊女「松の井」の粋な行為

 

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