天才 vs 秀才!「禅宗」はなぜ南北に分断されたのか?六祖慧能と弟子たちの禅統をたどる:4ページ目
エピローグ
その後、慧能は多くの弟子たちを導く中で、特に優れた5人の弟子を輩出しました。
- 南岳懐譲(なんがく えじょう)
- 青原行思(せいげん ぎょうし)
- 永嘉玄覚(ようか げんかく)
- 南陽慧忠(なんよう えちゅう)
- 荷沢神会(かたく じんね)
このうち南岳懐譲の禅統からは潙仰宗(いぎょうしゅう)と臨済宗が生まれ、青原行思の禅統からは曹洞宗・雲門宗(うんもんしゅう)・法眼宗(ほうげんしゅう)が生まれます。
やがて宋代(10〜13世紀)に入ると潙仰宗・雲門宗・法眼宗は廃れてしまい、臨済宗と曹洞宗で禅宗界を二分するようになりました
しかし曹洞宗は臨済宗に及ばず、人々は「臨(臨済宗)は天下、曹(曹洞宗)は一角」と評したそうです。
なお両宗派の修行について、臨済宗は公案(こうあん。禅問答)を重んじる一方、曹洞宗は只管打坐(しかんたざ。ひたすら座禅)を旨とする点に大きな違いがあると言います。
終わりに
今回は禅宗が南北に分断された経緯などについて、ざっくり紹介してきました。
努力志向の秀才気質な北宗に対して、天才肌でインスピレーション重視の南宗という違いが興味深いですね。
言うまでもなく禅学はもっと奥深いので、興味の湧いた方はもっと深掘りすると面白いでしょう。
慧能はじめ多くの名僧たちが遺した言行についても、改めて紹介したいと思います。
※参考文献:
- 野末陳平 監修『マンガ 禅の思想』講談社プラスアルファ文庫、1999年4月

