天才 vs 秀才!「禅宗」はなぜ南北に分断されたのか?六祖慧能と弟子たちの禅統をたどる:3ページ目
南北に分かれた禅統・頓悟と漸悟
やがて慧能は南方から禅を広め、今日における禅宗発展の祖となります。
いっぽう衣鉢を受け継げなかった神秀も、唐の首都であった長安へ上り、独自の禅統を確立しました。
このため慧能の禅統を南宗、神秀の禅統を北宗と呼ぶようになり、互いに対立します。
南宗と北宗はそれぞれ思想が異なり、悟りに至るプロセスが最大の違いと言えるでしょう。
南宗は頓悟(とんご)、北宗は漸悟(ぜんご)を旨としていました。
頓悟とは
「頓(とみ)に悟る」すなわち「段階を経ず、いきなり悟る」ことを意味します。
もちろん悟りの境地に至るための様々なアプローチ(修行)が試みられるのが一般的ですが、それが必須ではありません。
中には修行を要せずに悟ってしまう天才も存在し、慧能はまさしくその一人でした。
修行が必須ではない反面、どれほど修行を重ねても、一向に(何なら一生涯)悟りの境地に至れないリスクもあります。
漸悟とは
「漸(ようや)く悟る」の文字通り、修行を段階を経て、悟りの境地へと近づいていく思想です。
地道に修行を重ねれば、その先には悟りの境地があり、いつか必ずたどり着ける……人によって早い遅いはあっても、努力に裏切られることは決してありません。
※たとい悟りに至らず寿命が尽きてしまっても、修行しないよりはした方がよりよい(悟りに近い)と言えます。
どちらかと言えば、才能に自信がない人向けの思想と言えるでしょうか。
どっちが優れているということはない
これらの特質から、南宗(頓悟)は天才肌、北宗(漸悟)は秀才志向の禅と解釈されます。
ただし誤解のないよう補足すると、人には誰でも才能(悟りに至る可能性)があります。個性と言った方が、より適切な表現でしょうか。
ある日ある時、突然のキッカケで才能なり個性が開花し、悟りの境地に至るのでした。
人間同士に一切の差はなく、ただ自分を通じて仏と向き合うことを旨とします。
修行を始めた先後や年齢の長幼などは関係ありません。
本来無一物である以上、人間同士で比べる行為自体がナンセンスです。
ひいては南宗と北宗のどっちが優れているか、などと言うのも愚問。それぞれどっちが「自分に合っているか」をこそ問うべきでしょう。
あらゆる思想や宗教に言えることですが、平和で幸せに生きるというゴールは皆同じはず。
何が平和で何が幸せなのか、そのためにどう生きるのか。あらゆる悩みや迷いから解放された状態を、悟りと呼ぶのかも知れませんね。

