天才 vs 秀才!「禅宗」はなぜ南北に分断されたのか?六祖慧能と弟子たちの禅統をたどる:2ページ目
「その詩は悟っていない」
それでも神秀の詩は素晴らしい出来ばえで、弟子たちはみな口々に諳(そら)んじます。
「身はこれ菩提樹、心は明鏡の台の如し……」
これを聞いた慧能は、思うところを口にしました。
「その詩を詠んだ方は、まだ悟りの境地に至っていませんね」
何だと、無学な米搗き男、しかも南蛮人の分際で……尊敬する神秀を批判され、怒り心頭だったのではないでしょうか。
「文字の読み書きも出来ないくせに、お前に禅の何が解る!」
「お言葉ですが、文字は禅を理解する手がかりであって、禅そのものではありません。達磨大師もおっしゃっていたでしょう。『言語道断・不立文字』と」
言語道断(ごんごどうだん)とは「禅は言葉に表し切れない」の意、不立文字(ふりゅうもんじ)とは「文字に依存すべからず」の意です。
やり返されて、怒りはますます募ります。
「そこまで言うなら、お前が詩を詠んでみろ!」
「いいでしょう。口述するので、どなたか筆記していただけますか?」
そして慧能は口を開きました。果たしてどんな詩を詠むのでしょうか。
天才の禅詩に震撼
菩提(ぼだい)本(もと)より樹(じゅ)無し
明鏡も亦た(また)台に非(あら)ず
本来無一物(むいちもつ)
何処(いづく)にか塵埃有らん
【詩の意味】
菩提(悟りの境地)は樹木に表せるものではなく、鏡も台も存在しない。
この世の本質は「無」であるのだから、そもそもチリなど存在するはずがない。
……菩提樹だの明鏡だの小賢しい。すべては無であり、無より来りて無へと帰するのだ……あまりにも大胆な世界観に、人々は震撼したことでしょう。
よもや、こんな無学の南蛮人が衣鉢を受け継いでしまうのか……しかし弘忍大師は冷淡に断じました。
「ダメだ。全く話にならん」
弘忍大師が去って行くと、神秀らは胸を撫で下ろしたことでしょう。
しかし弘忍大師は夜中になると、慧能を訪ねて言いました。
「お前が衣鉢を受け継ぐべきだ」
昼間の冷淡な態度は、周囲を欺くためのもの。もしあの場で慧能を指名すれば、きっとタダでは済まなかったはずです。
慧能に衣鉢を託し、秘法を伝授した弘忍大師は、夜の内に旅立つように促しました。
「しばらく身を隠し、時機が来たら世に教えを広めるがよい」
「はい。今までありがとうございました」
かくして慧能は師の元を去ったのです。

