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江戸幕府も度肝を抜かれた!「ペリー来航」の贈答品でアメリカが日本に持ち込んだ最新技術とは?

江戸幕府も度肝を抜かれた!「ペリー来航」の贈答品でアメリカが日本に持ち込んだ最新技術とは?

日本の歴史のなかでも、日本社会が大きく変わるきっかけとなったのが「ペリー来航」ではないでしょうか。

ペリー来航に関しては、4隻の黒船、日米和親条約や日米修好通商条約などのイメージが強いかと思いますが、実はペリー一行は日本へ多くの物を贈っていました。

そして、日本側もペリーたちに贈り物をしていました。そこで、今回の記事では、日・米がそれぞれどんな物を贈り合ったのかをご紹介していきたいと思います。

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ペリーが日本側に贈った物とは

1854年、ペリー一行は7隻の軍艦を率いて浦賀に再度やってきました。来航から条約の締結までのあいだに、おもてなしの宴が行われたりしていました。また、そのあいだにさまざまな贈答品も贈られていました。

たとえば、織物、ボート、刀、ピストル、香水、ドレス、化粧箱、ウイスキーやシャンパン、お茶、時計、ストーブ、望遠鏡、地図、銀板写真機などです。

また、オーデュボン鳥類図鑑、ニューヨーク州博物誌、議会年報、ニューヨーク州法典、ニューヨーク州議会誌、灯台報告書、バンクロフト米国史、農業指導書、米国沿海測量図、モリス工学書、ニューヨーク州立図書館・郵便局カタログといった書物も贈られました。

2ページ目 なかには、文明の力を見せるようなものも

 

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