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神奈川県に護国神社を!創建前に横浜大空襲で焼失…幻の「神奈川県護国神社」とは?

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県民一丸となって創建に邁進するが……。

そこから用地買収に約1年の月日を要し、昭和16年(1941年)9月に用地買収を完了。同年11月から整地作業が開始されます。

整地作業には41,000人の県民ボランティアなどが多数参加。当時の神奈川新聞には、県知事と横浜市長が一緒にモッコ(網に土を入れて駕籠のように運ぶ道具)を担ぐ姿が掲載されるなど、まさに全県一丸となって護国神社の創建に汗水を流しました。

しかし昭和16年(1941年)12月8日に大日本帝国が米英等連合国に対して宣戦布告。大東亜戦争(太平洋戦争)が開戦します。

これによって資材が高騰し、調達困難となったことから整地作業は延びてしまい、完了したのは昭和18年(1943年)3月でした。

その間、昭和17年(1942年)7月に内務省より神奈川県護国神社の創建が正式に許可され、12月には社殿等の造営が整地と同時進行で起工されていたのです。

昭和18年(1943)11月には社殿の上棟式が行われ、だんだん神社らしい形になってきました。しかしやはり資材面のハードルが高く、一向に造営工事は進みません。

昭和19年(1944年)9月の完成予定日になってもまだ完成せず、県民の皆さんはまだかまだかと心待ちにしていたことでしょう。

年が明けて昭和20年(1945年)1月時点では、既に本殿・拝殿・参道などが完成し、後は鳥居を建てて境内に植樹するだけ……という状態になりました。

もうほぼ護国神社が創建されたようなものですが、最後の最後まで資材の調達に手間取ってしまいます。

そして5月29日に横浜大空襲(米軍による無差別爆撃)が行われ、創建目前の神奈川県護国神社は焼失。県民みんなの思いが灰燼に帰してしまったのでした。

3ページ目 護国神社の跡地は公園に

 

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