
「べらぼう」蔦重、ついに覚醒!吉原者が“作り笑顔”で市中の地本問屋たちを確実に刺し返す!【前編】:3ページ目
人気の狂歌師・太田南畝との出会いで新しい世界へ
さらに、今回は新しく「チーム蔦重」の大切な一員となる、寝惚け先生こと太田南畝と、「狂歌」という新しい世界との出会いがありました。これで蔦重の出版ビジネスは、さらなる飛躍を遂げることになったのでした。
二人の出会いは、南畝が蔦重の本を自身の本で絶賛してくれたお礼を伝えに、南畝の家を訪れたことから始まりました。
これは史実でもその通りで、南畝の日記には、
「蔦屋の板にて 喜三二の作なりし故 蔦屋重三郎 大によろこびて はじめて わが方に 逢いに来けり」
と日記されているそうです。(「べらぼう紀行」より)
南畝のほうも、お江戸で有名になってきた吉原生まれの吉原育ち、若手の書店の主人蔦重に興味を持っていたのでしょうか。
「喜三二の作」とは、ご存じ朋誠堂喜三二(尾美としのり)の『見徳一炊夢(みるがとくいっすいのゆめ)』。
本の売れ行きを心配していた蔦重でしたが、南畝が、ランキング本『菊寿草』でNo.1に推薦したおかげで、売れ行きは絶好調になりました。
その礼をするために、須原屋市兵衛(里見浩太朗)の仲立ちで牛込・御徒組屋敷まで足を運んだのでした。
もともと日本人は「◯◯番付」のようなものが好きだったようですが、現代にも通じる「今年人気のベストセラーランキング」のような本が、この時代から出版されていて、作り手もそれを見て一喜一憂しているのが、非常に興味深いですよね。
蔦重が訪れた太田南畝宅は、家具のない部屋、焼けたたたみ、障子の当て紙……みるからに「金がない」家に住んでいる様子。赤子をあやしながらガハハハハと笑っている姿は、とても「売れっ子」というイメージからは遠いものでした。ところが、この人物、とんでもない天才だったのです。
そして、この南畝との出会いがきっかけで、めくるめく「狂歌」の世界に没入していく蔦重……
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