
男装の女剣士!江戸時代、女でありながら家督を継ぎお家再興を成した剣術家・佐々木累の覚悟
江戸時代になると宮本武蔵や柳生宗矩など多くの剣術家が現れました。
刀=男性を現すように剣術家は男性が多かったですが、1人「異装の女性剣術家」と呼ばれた女性剣術家が実はいたのです。
その事実だけでも驚きを隠しきれないのですが、今回はその女性剣術家、佐々木累(ささきるい)について触れてみたいと思います。
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父の死で浪人へ
累の父、佐々木武太夫(ささきぶだゆう)は土井利勝に仕える剣術家でした。父から剣術を教わり、武家の娘として成長した累は佐々木家を継げる婿を探します。
しかし、慎重に婿を選び過ぎたことにより、父は病没してしまいます。その後、佐々木家には後継者がおらず、断絶してしまいました。必然的に累は浪人となってしまうのでした。
なぜ累が家督を継げなかったのかいうと、当時の体制である幕藩体制では、家督相続者は男子であることが自明の理とされていたからでした。
その出で立ち、まさに異装!
浪人となった累は故郷の古賀藩から浅草まで赴きます。そこで累は剣術道場を開き、武芸指南を始めます。父仕込みの剣術が評判を呼び、多くの門下生が累のもとに来ました。
他にも評判をさらったのが累の服装でした。外出時、累は大小2振りの刀を差し、佐々木家の家紋四つ目結が刻まれた黒縮緬の羽織、笄分け(こうがいわけ)の髪型という出で立ちでした。
それで江戸の町を歩いていたので、個性的かつ「異装」の身なりが話題性を呼びました。
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