なんと日本初のキリシタンは海賊だった!”天使”の異名を持つ男「ヤジロウ」がザビエルと共に歩んだ生涯:2ページ目
薩摩に上陸したザビエル宣教団
ジャンク船に乗り込んだ宣教団のメンバーは以下の通り。
- ザビエル
- コスメ・デ・トーレス(イエズス会神父)
- フアン・フェルナンデス(同修道士)
- マヌエル(明人)
- アマドール(インド人)
そしてヤジロウと日本人2名(姓名不詳)、計8名です。
宣教団の一行は明国の上川島(広東省江門市台山)を経て、薩摩半島の坊津に上陸しました。約4ヶ月の航海は、彼らにとって大きな試練となったことでしょう。
天文18年(1549年)9月には伊集院城で戦国大名の島津貴久(しまづ たかひさ)と謁見。布教の許可を得ました。
薩摩での布教中、ザビエルは好んで忍室文勝(にんしつもんしょう。福昌寺住職)ら仏教徒と宗教論争を挑んだと言います。
お互いの信仰を尊重する姿勢はなかったよう(それが一神教というもの)で、当初は好意的であった島津貴久も、次第にキリスト禁教へと傾いていきました。
少しやり過ぎたと思ったか、ザビエルは「上洛する」という名目で薩摩を離れます。
ヤジロウもザビエルに従って薩摩を離れ、各地で布教活動に勤しみました。
故郷に留まるよりも信仰を選んだのか、あるいは前科ゆえに居心地が悪かったのかも知れませんね。
