無類の男色嗜好。徳川3代将軍「徳川家光」の性癖と寵愛され出世した2人の重臣【後編】:2ページ目
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酒井重澄(さかい しげずみ)
堀田正盛と共に、家光の寵愛を受け立身した人物として知られる。1607年生まれ。1622年に2代将軍・徳川秀忠に謁見して以後、家光の近臣として仕える。
正盛同様に家光と男色関係にあったとされる。若くして下総国生実に2万5000石を与えられた。
しかし、ある時期から病と称して屋敷に籠り療養中に4人の子をもうける。その事実が家光の逆鱗に触れたことで改易され、福山藩にお預けの身となる。
1642年。自ら食を断って自殺。享年36。己の境遇を恥じたことが理由とされている。静養と称して職務を放棄した理由は明らかになっていない。
その後
堀田家、酒井家共に子孫は徳川幕臣として存続した。家光の男色嗜好は続いた様だが、1637年の長女・千代姫誕生を契機に女性に対する興味をみせ、その後は側室との間に子をもうけた。
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