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島津家 歴代最恐の暴君!?外道伝説ばかり語られる武将・島津家久の人生がやはり色々とヤバかった【前編】

島津家 歴代最恐の暴君!?外道伝説ばかり語られる武将・島津家久の人生がやはり色々とヤバかった【前編】:2ページ目

覚醒する島津忠恒

生まれたときからぐうたらだった忠恒ですが、1598年の朝鮮出兵2回目である「慶長の役」で、遂に戦場で本領を発揮します。朝鮮軍20万もの軍勢に囲まれたにもかかわらず、島津軍はたった5000の兵で勝利。このとき、忠恒軍だけで1万以上もの敵を葬ったとされています。

大活躍をみせた忠恒でしたが、進軍する先々で蹴鞠を楽しむためのスペース・蹴鞠場を兵士に作らせるなど、身勝手な振る舞いが改善されることはありませんでした。長距離の移動後であっても、構わず兵士に蹴鞠場を作らせるなどしていたため、耐えきれずに逃げ出す兵士もいたといいます。

慶長の役は、1598年9月に豊臣秀吉が亡くなったことで中止。日本に戻ってきた忠恒は正式に島津家当主を引き継ぎ、新たな門出を迎えたのです。

島津家の当主になった忠恒は、数々の功績を残していきました。しか同時に悪名も広めていき、遂には自身の行動がキッカケで島津家存亡の危機を招くことになるのです…

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島津家 歴代最恐の暴君!?外道伝説ばかり語られる武将・島津家久の人生がやはり色々とヤバかった【後編】

前編では、鎌倉時代から江戸時代まで700年間に渡って南九州を統治してきた島津家のなかでも、歴代最恐の暴君として名高い「島津忠恒(家久)」が島津家当主になるまでのエピソードを紹介しました。[in…
 

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