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刺身とお造りは違うもの?
醤油は室町時代に登場した高級品でした。近畿地方にしょうゆの産地が形成されたあと、江戸幕府が開府されると、上方から大量の「下り(くだり)醤油」が送られるようになり、次第に関東では下総国の野田と銚子が産地となっていきます。
醤油登場前は、お寿司は甘い味噌をつけて食べていたといいます。魚の切り身に醤油をつけて食べるのが庶民にも一般的になるのは、江戸幕府以降のようです。
さて、日本料理の原型が確立した室町時代、刺身や造りはただ単に「切り身」と呼ばれていました。切った魚がなんの種類なのかが区別がつくように、尾頭や尾ビレを切り身に刺していたことから「刺身」と呼ばれるようになったとも。
江戸で庶民が醤油を手に入りやすくなると、新しく刺身屋が登場。お皿を持って、好きな分だけ盛りつけてもらいます。計り売りみたいなものですね。関東では武家が切腹を想起するということで「刺身」と呼ぶのが一般的に。
関西では、もともと魚を切ることを「造る・つくる」と呼んでいたため、皿にのせた切り身をそのまま「お造り」と呼んでいました。「切る」と同様に「刺す」も忌み嫌われて「造る」と呼んだという説もあります。
ちなみに、関東では褄や飾りをつけて様々な魚を盛り合わせるのが流行りましたが、上方では盆地で暑いこともあり、傷みやすいということで、一皿に一種類だけ載せるのが主流だったとか。
3ページ目 筋子といくらの違い?ご飯を食べるのになぜ「お茶碗」?
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