【関ヶ原の戦い】雨が降ってご飯が炊けない。そんな時に飢えをしのぐため徳川家康はこうした:2ページ目
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そこで「我らが神の君」は、全軍に示達しました。
「皆の者、此度の戦さはまことご苦労であった。時にこの雨で米が炊けぬが、生米をそのまま食っては腹を壊してしまう。なのでよく水につけておき、戌の刻(午後8:00ごろ)になってから食うべし」
各陣営へ使番が駆け回り、家康のお触れが伝えられます。
そこで各陣営では、生米を近くの川にひたして戌の刻まで待ったのでした。
腹が減っているのに、4時間近くも待たされるのは辛かったでしょう(中にはちょっと盗み食いした者がいたかも知れませんね)。
さて、秋の日はつるべ落とし、辺りは次第に暗くなります。
雨はどんどん強くなり、まるで戦さの血に穢れてしまった大地を洗い流すようでした。
地表を流れる血はあちこちの川へと流れ込みます。その水につけておいた米を引き上げたところ、米は赤く染まってしまったということです。
「うへぇ……」
赤とも朱ともピンクともつかない米。何とも不気味ですが、これ以外に食うものはありません。
腹が減っては戦ができぬ。腹が減っては生きて帰れぬ。そう思いながら、みんなでむさぼり食ったことでしょう。
終わりに
以上、関ヶ原の戦いが終わった後の生米エピソードを紹介してきました。
よく現代でも「家に帰るまでが遠足です」などと言いますが、まさに合戦も「無事に生還するまでが戦さ」でした。
時代劇などでは、尺の都合からあまり描写されない兵站(へいたん。物資の補給や調達、その他将兵の生活場面)ですが、こうしたリアルな場面も戦場の緊張感を伝えてくれます。
華々しい合戦の裏では、こんな悲喜こもごもがあったのだと感じることで、歴史作品をより一層味わえるのではないでしょうか。
※参考文献:
- 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション
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