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我が天下は揺るがんのう……豊臣秀吉が家臣に語った”天下取りの三要素”とは【どうする家康】:3ページ目
もし三人が力を合わせていたら?
一四五 太閤秀吉公へ御伽の衆尋ね申され候うは、「当時天下を取り申す器量の大名御座候や。」と申され候へば、太閤御答に、「天下を取る事は大気・勇気・智慧なければならず。この三つを兼ねたる大名一人もなし。又小者には二つ宛兼ねたる者三人あり。上杉が直江山城、これは大気・勇気はあれども智慧かけ合はず。毛利が小早川隆景、これは大気・智慧はあれども勇気懸け合はず。龍造寺鍋島飛騨、これは勇気・智慧はあれども大気なし。大名には、これほどの者もなし。」と御申し候由。
※『葉隠聞書』第十巻
以上、秀吉による大名や武将たちの批評エピソードを紹介してきました。
まったく智慧がないだの(直江兼続)、勇気がないだの(小早川隆景)失礼ですね。
鍋島直茂については「大気(野心)がない」という評価でしたが、これは直茂が佐賀藩祖だから忖度したのでしょうか。
※『葉隠』作者の山本常朝・田代陣基たちは佐賀藩士でした。
また佐賀を龍造寺家から簒奪したと思われたくなくて、鍋島直茂はあくまで野心などなかったと主張するための創作・伝承と考えられます。
歴史に「もしも」はありませんが、もし直江兼続・小早川隆景そして鍋島直茂が手を組んで、それぞれを補い合っていたら天下が獲れていたのでしょうか。想像すると面白いですね。
終わりに
ところで気になるのは「我らが神の君」徳川家康の評価。
秀吉にとっては、かつて小牧・長久手の戦い(天正12・1584年)で苦戦を強いられた難敵のはずです。
あえて不都合な現実から目を逸らしたのか、あるいは家康の徹底した臣従ぶりにすっかり心を許してしまったのか……実際のところはどうなのか、気になりますね。
秀吉の理屈だと、家康は大気・勇気・智慧のうち、どれか一つしか備えていなかったことになります。果たしてどれを備えていたのでしょうか。
ひたすら狸芝居を続けて秀吉を見事に化かした「神の君」が、その本性を表すまでもう少し。
家康がどこまで化け続けるのか、大河ドラマの方も楽しみですね!
※参考文献:
- 古川哲史ら校訂『葉隠 下』岩波文庫、2011年6月
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