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そうだったの?江戸時代 将軍・徳川綱吉の時代に3度もの大火災…江戸時代の「元禄の大火」はなぜ起きた?

将軍・徳川綱吉の時代に3度もの大火災…江戸時代の「元禄の大火」はなぜ起きた?

火災拡大の原因は

元禄時代当時の江戸の町には全国から人が集まっており、人口は80万人に上ったと言われています。これが、続く享保年間(1716~36年)には130万人へと膨れ上がりました。

特に、町人たちが住む日本橋・京橋・神田あたりのいわゆる「下町」は人口密度が高く、表通りには商店が立ち並び、路地裏にも長屋がずらりと建っていました。住む人が多ければ、「火の元」もそれだけ増えることになりますし、大火になれば焼け出される人も多くなるのも当然でしょう。

ちなみに、このように大火の話ばかりしていると元禄時代は不吉な時代だったように感じられるかも知れません。しかし実際には都市部の人口が増加し、物流も発達したことで、さまざまな産業や娯楽が発展したのもこの時代の大きな特徴です。

この頃は町人たちも経済力をつけ、学問や芸術分野でも活躍するようになりました。こうした元禄文化を代表する人物の中には、近松門左衛門井原西鶴というビッグネームもいます。

さて前述の人口増に加えて、人々が住んでいた建物がほとんど木造だったのも見逃せません。しかも現代とは違い電気やガスがないので、料理をするにも暖を取るにも火を使う必要がありました。

これもまた、大火が起きやすくなる大きな要因だったと言えるでしょう。江戸の町は木造の家屋が密集していたことから、ひとたび火がつくとあっという間に燃え広がります。ここに乾燥や強風など気象上の悪条件が重なって、江戸時代の大火は発生していたのです。

 

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