古来から恐れられる呪術「丑の刻参り」そもそもは良縁・心願成就が始まりだった【前編】:2ページ目
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現代にも伝わる「丑の刻参り」とは
江戸時代、主に女性の間で広まった「丑の刻参り」。
草木も眠る丑の刻に神社に出向き、ご神木に呪う相手に見立てた藁人形を五寸釘で打ち込めば、その相手に災いや死をもたらすことができる……という、呪いの作法です。
その呪いを叶えるには、丑の刻に白装束・げた履・頭には3本のロウソクを立てた鉄輪を被り、藁人形には呪う相手の髪の毛などの一部を入れ、誰にも見られず声をかけられず7日間は続けるなど、いろいろな決まりがあります。
丑の刻参りの起源とも伝わる「橋姫伝説」
起源としては、一般的に「橋姫伝説」が有名です。平家物語の中の「釣巻(つるまき)」に収められている逸話によると、公卿の娘・橋姫が嫉妬のあまり「殺したい女がいる」と神社で願ったところ、神さまが現れ「宇治川に浸かり21日間を過ごすよう」とお告げをしたそう。
娘はその通りに行動し、鬼と化して願いを叶えた……という伝説です。その伝説の中では五寸釘・人形は登場しません。
火を灯した鉄輪を戴いた鬼女「鉄輪」
その後、室町時代の世阿弥の謡曲「鉄輪」の中で、自分を捨て後妻を娶った夫に報復するために報復を祈願した元妻が火を灯した鉄輪を戴いた鬼女となり現れ、当時有名な陰陽師・安倍晴明が祈祷するという話があります。
「丑の刻参り」は恐ろしい禍々しい話のようですが、そもそもは、「丑年丑月丑日丑刻」に神社の祭神が降臨される折、心願成就に詣でたのが始まりといわれているのです。
【後編】では、現在でも「丑の刻参り」に使用された「五寸釘を打ち込んだ跡」が無数に残る杉がある神社についてお話ししましょう。
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