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織田信雄(信長次男・浜野謙太)が惨敗!天正伊賀の乱「阿波口の合戦」を紹介【どうする家康】:4ページ目
信雄、命からがら逃げ帰る
……信雄卿も伊賀勢の方術に迷はされ、一御支えにも及ばずして、辛き命を遁れ、谷に入り峯に登り、道も奈き所を傳ひて、馬物具を打ち捨て置き、ほうほうの体を見はして、深更に及び、長野の宿に引き退く。……
※『伊乱記』巻之二「信雄卿阿波口合戦の事」
【意訳】こうなると、信雄はもう指揮を執るどころではなく、兵を見捨てて逃げ出しました。谷に転がり峰をよじ登り、道なき道を伝って生還を果たします。
出陣時に威容を誇っていた名馬も甲冑もかなぐり捨てて、本陣にたどり着いたのは深夜だったということです。
……信雄方の名を得たる勇士より、雑人原に至るまで、其の人数を討るゝ事、幾千人といふ数を知ら寿”、残り少なく討たれ果てける、猶又其の身の辛労堪え難く、九月十八日といふに、討ち漏らされし、僅少の敗兵を引き具して、松ガ島に引き退き給ひし事、口惜かりし次第奈り、其の上世上にての風説悪舌、とりどりなりしとぞ聞えし。
※『伊乱記』巻之二「信雄卿阿波口合戦の事」
【意訳】かくして惨敗を喫した信雄。名だたる勇士らをはじめ、雑人原(ぞうにんばら。~輩、名もなき兵士など)にいたるまで数千人以上が討たれてしまいました。
すっかり面目を失った信雄は、わずかな生き残りを掻き集めてトボトボと引き揚げていき、世の人々に笑われたということです。
それにしても、土地勘のない敵地からボロボロになっても生き延びたのは、確かに生存本能が優れていたと言えるでしょう。
信長激怒!親子の縁を切られる?
九月十七日 北畠中将信雄 伊賀国へ御人数被差越御成敗の處尓一戦柘植三郎左衛門討死候也
※『信長公記』巻之十二(天正七年己卯) (十)北畠中将御折檻状之事
【意訳】9月17日、信雄が伊賀国へ攻め込んだが敗れ、柘植三郎左衛門(つげ さぶろうざゑもん。柘植保重)を討死させてしまった。
……信雄が勝手に戦をした挙句、惨敗を喫して天下の物笑いとなった……それを聞いた信長はもう怒髪天。信雄に折檻状(せっかんじょう。糾弾文書)を送りました。
九月廿一日 信長公……(中略)……北畠中将信雄卿へ被仰出趣上可たへ無御出陣私之御働不可然之旨被成御内書其御文言
今度伊賀堺 越度取候旨誠天道もおそろしく日月未墜于地其子細者上可たへ出勢候へハ其国之武十或民百姓難儀候條所詮国之内尓て申事候へハ他国之陣依相遁此儀尤と令同心ありあり敷云へハ若気故実と思如此候哉さてさて無念至極候此地へ出勢ハ第一天下之為父へ之奉公兄城介大切且ハ其方為彼是現在未来之可為働剰始三郎左衛門討死之儀言語道断曲事之次第候実に於其覚悟者親子之舊離不可許容候猶夫者可申候也
九月廿二日 信長
北畠中将殿※『信長公記』巻之十二(天正七年己卯) (十)北畠中将御折檻状之事
文中の「言語道断曲事之次第候実に於其覚悟者親子之舊離不可許容候(意訳:事と次第によっては、親子の縁を切る!)」という辺りに、凄まじい怒りを感じますね。
織田家の面目を潰された信長は、やがて伊賀の国衆を徹底弾圧するのですが、この時点ではまだ石山本願寺との対決が優先でした。
果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では、天正伊賀の乱がどのように描かれるのか、また信雄にもちょっとは活躍させてくれるのか……今から楽しみですね!
※参考文献:
- 百地織之助 訂『伊乱記』国立国会図書館デジタルコレクション
- 太田牛一『信長公記 巻下』国立公文書館デジタルアーカイブ
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