【朝ドラらんまん】田中哲司演じる徳永助教授のモデル!日本植物学の発展に尽力した松村任三の生涯②:2ページ目
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東京大学の前身・東京開成学校で法学を修める
大学南校では基本科目を学んで普通科を修了し、のちに法学・理学・文学のいずれかの専門科へ進学するカリキュラムが採用されていました。
しかし貢進生の半数近くは学校を退学するほどで、普通科を修了する人間はほとんどいません。
このため普通科における外国語教育に重点が置かれるようになり、大学南校は中等学校と位置付けられます。
明治5(1872)年、大学南校は「第一大学区第一番中学」に改組。翌明治6(1873)年には、開成学校となり、明治7(1874)年には東京開成学校と改められました。
任三はこの中でも勉学を続け、法学を修めたと伝わります。
しかし明治9(1876)年、任三は東京開成学校を退学。その理由についてはわかっていません。
朝ドラでは、任三がモデルとなった徳永助教授の評に「英語がわからなくて東大を中退した」とありました。
本当にそうだったのでしょうか?
このエピソードは、貢進生の状況や松村任三が漢学や儒学に造詣が深かったことに起点を置いていると考えられます。
実際に卒業を待たずに活躍した人物も多く、任三もそのうちの1人として名を知られていきます。
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