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徳川家康の禁教政策に影響を与えた江戸時代初期の疑獄事件「岡本大八事件」とは?

徳川家康の禁教政策に影響を与えた江戸時代初期の疑獄事件「岡本大八事件」とは?

大八が処刑された日、家康は京都所司代の板倉勝重にキリスト教の禁止を命じました。キリシタンには改宗を強制し、改宗に応じない信徒を京都から追放するとともに、京都のキリスト教寺院を棄却させました。

家康が、このようにしてキリスト教禁止に踏み切ったのは、大八と晴信がキリシタンだったためといわれています。

また、この事件をきっかけに、家康譜代の重臣である本多氏と大久保氏が対立することになるという事態が起こりました。大八が本多正純の家臣で、大八の処断を行ったのが、大久保長安だったためです。

長安の死後、不正な蓄財が発足して一族が処分されましたが、これは、正純と父・正信の讒言があったためと考えられています。また、1614(慶長19)年正月には、長安の主君である大久保忠隣(ただちか)が改易されましたが、これも本多父子が仕掛けたものだったという説もあります。

いずれにしても、これ以降幕府や諸藩は、宣教師やキリシタンに対して激しい迫害を加えるようになっていったのです。

参考

野口朋隆「肥前日野江藩 四万石 有馬晴信 岡本大八事件 カトリック勢力や幕府に翻弄されたキリシタンの悲劇」『歴史読本』59 2014

 

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