電力の鬼。日本の電力業に力を注いだ松永安左エ門(まつながやすざえもん)の不屈の人生
みなさんは、「松永安左エ門(まつなが・やすざえもん)」という人物の名前を聞いたことがありますか?なんだか威厳のある名前ですが、彼は「日本の電気王」、「電力の鬼」などの異名を持つ実業家です。
そこで今回の記事では、後世にさまざまな面で大きな影響を与えた松永安左エ門の、不屈の人生に迫ってみたいと思います。
家族から可愛がられて育つ
松永安左エ門(幼名:亀之助。「安左エ門」は父の名前を襲名したものです)は、1875年(明治8年)、長崎県壱岐で生まれました。商家出身で、安左エ門は祖父母や両親、また親戚から可愛がられて育ったと言います。
福沢諭吉の『学問のすすめ』に感銘を受ける
松永安左エ門は、福沢諭吉の『学問のすすめ』を読んで感銘を受け、14歳で慶應義塾へ入塾します。福沢諭吉から直接学ぶ機会もあったようで、この経験が松永安左エ門の人生の基盤を作ることになりました。
父の死により、中退し壱岐に戻り家業を継ぎます。しかし、3年で廃業。慶應に復学しますが、再度中退。その後日本銀行に就職します。
サラリーマン生活になじめず、さまざまな事業を展開
松永安左エ門は、日本銀行も1年で辞めてしまいます。材木商、綿糸ブローカー、石炭商、コークス商などを試み、特に石炭商で成功すると、人脈ができるようになりました。
その人脈を活かし九州電気株式会社を設立。電力業に力を注いでいきます。次々と他の電力会社を傘下にしていきました。
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