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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 「どうする家康」伊賀&甲賀の忍び対決が魅せた第6回放送「続・瀬名奪還作戦」振り返り

「どうする家康」伊賀&甲賀の忍び対決が魅せた第6回放送「続・瀬名奪還作戦」振り返り

服部半蔵の武功と、育まれる仲間たちとの絆

いっぽう、半蔵も負けてはいません。『寛政重脩諸家譜』によると、宇土城(上ノ郷城)攻めに際して伊賀忍び60~70名を率いて城内に潜入。こちらも武功を立てました。

正成 半三 或は半蔵 石見守 母は某氏。

父に継で東照宮につかへたてまつり、三河国西郡宇土城夜討の時、正成十六歳にして伊賀の忍びのもの六七十人を率ゐて城内に忍び入、戦功をはげます。これを賞せられて御持鎗 長七寸八分■鎬 を拝賜す……

※『寛政重脩諸家譜』巻第千百六十八 服部氏 服部

劇中では寄せ集めの40名(ほとんど戦力外)という描写でしたが、実際にはちゃんと精鋭を率いて戦ったのです。

忍びの性質上、どんな活躍をしたのかまでは残っていないものの、確かに手柄を立てて恩賞に槍を賜わりました。

大河ドラマでも、この辺りも演じて欲しかったところですが、女大鼠(演:松本まりか)や大山犬(演:キャッチャー中澤)たちと育まれつつある伊賀忍びの絆が好印象でした。

いつか半蔵も、忍びの任務に誇りを持てるようになるといいですね。

榊原康政の初陣、実はもう少し先

第2回「兎と狼」の出会い以来、元康の小姓として仕えていた小平太(演:杉野遥亮)。今回の上ノ郷城攻めで初陣を果たそうと意気込んでいました。

同い年の本多忠勝(演:山田裕貴)に追いつき追い越そうと奮戦していたものの、残念ながらこれはフィクション。小平太の初陣は翌年(永禄6・1563年)になります。

康政

童名亀 小平太 式部大輔 従五位下 母は道家氏が女。
天文十七年三河国上野に生る。永禄三年大樹寺にをいてはじめて東照宮に拝謁し、これより仰によりて御傍ちかくつかへたてまつる。時に十三歳 六年一向の門徒蜂起のとき、上野の合戦に初陣し、敵と鎗をあはす。の御諱の字をたまひ、康政とめさる……

※『寛政重脩諸家譜』巻第百 清和源氏 義家流 足利支流 榊原

ともあれ、あり合わせのモノを身体じゅうにくっつけて甲冑の代わりとした小平太。腰に「無」と記されたザルが吊るされていたのは、後にこれが旗印のヒントになるのでしょう。

「無」の意味には諸説あり、家康に無二無三の忠義を尽くし、無私無欲に奉公する意気込みなどと言われています。

デビューこそ忠勝に後れをとったものの、小平太の活躍は目覚ましく、永禄7年(1564年)の吉田城攻めに際しては忠勝や鳥居元忠(演:音尾琢真)らと共に先鋒を務めました。

今後よきライバルとして成長し、やがて徳川四天王の一人に数えられる小平太(榊原康政)に注目です。

4ページ目 瀬名、両親との別れ

 

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