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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 「どうする家康」伊賀&甲賀の忍び対決が魅せた第6回放送「続・瀬名奪還作戦」振り返り

「どうする家康」伊賀&甲賀の忍び対決が魅せた第6回放送「続・瀬名奪還作戦」振り返り:2ページ目

甲賀忍び・伴与七郎について

寄せ集めだった伊賀忍びの残党に対して、甲賀忍者の手練れを率いてやってきた伴与七郎(ばん よしちろう)。

細かいことですが、余所者の本多正信が「こうが」と呼んでいたのに対して与七郎は「こうか」と名乗っていた辺りにこだわりが感じられます。

『三河後風土記』によると、上ノ郷城攻めにおいて同族と思われる伴太郎左衛門資家(たろうざゑもんすけいえ)ら忍び80余名を率いて潜入しました。

……城の守将長持ハ城の北方護摩堂の方へ迯行所(にげゆくところ)を伴與七郎資定(ばん よしちろうすけさだ)懸寄突伏て首を取る……

※『改正三河後風土記』巻第八「西郷落城鵜殿長照生禽付信康君人質替の事」

※西郷城とは西郡の上ノ郷城を指します。

鵜殿長照(上文中の長持=長照の父は既に死んでいるため誤り)を討ち取る大功を立てたほか、長男の鵜殿氏長(演:寄川歌太)を生け捕ったとも言われ、弟の鵜殿氏次(演:石田星空)ともども人質交換の材料とされました。

そして与七郎はこの時の武功につき、元康より感状を賜わったと言います。

今度鵜殿藤太郎其方被討取、近比御高名無比類候。我等別而彼者年来無沙汰候。散心霧弥祝着申候。委細左近・雅楽助可申候。恐々謹言
二月六日 松蔵元康(花押)
伴与七郎 参

※「鵜殿系図」伝巻之九

【意訳】こたび、そなたが鵜殿藤太郎(長照)を討ち取ったことは近ごろ比べもののない功名である。我らはかねて鵜殿と対立しており、心の霧が晴れて実にめでたい。恩賞については松井忠次(左近)と酒井正親(雅楽助)から伝えさせる。以上、謹んで申し上げる。

史実ではこれっきりの活躍ですが、せっかくなので大河ドラマではもっと暴れ回って欲しいところです。

3ページ目 服部半蔵の武功と、育まれる仲間たちとの絆

 

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