江戸時代、世間で大炎上した旗本と吉原遊女の心中事件「藤枝心中」をご紹介
日本の歴史においては、さまざまな「心中」がありますが、みなさんは「藤枝心中」という出来事をご存じでしょうか。中心となった人物の身分や、その後の処分などから、有名な出来事となり、後世にも語り継がれています。
今回の記事では、そんな「藤枝心中」について詳しくご紹介したいと思います。
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「藤枝心中」の中心人物たち
藤枝心中が有名である理由は、関わった人物にもありそうです。というのも、男性は江戸の旗本・藤枝外記(こちらは通称で、藤枝教行(ふじえだ・のりなり)とも呼ばれます)だったためです。彼は裕福な武士で、石高4000石でした。彼には妻がおり、2人のあいだには3男1女をもうけています。
彼の心中相手が、京町二丁目の大菱屋の遊女・綾絹(あやぎぬ)(綾衣、または琴浦とも呼ばれます)でした。ちなみに、彼女はこの出来事の当時19歳で、外記の妻と同い年でした。
「藤枝心中」のいきさつ
藤枝心中は天明5年(1785年)に起こりました。外記と綾絹は深い仲になっていましたが、裕福な商人が綾絹を身請け(金を出して年季証文を買い取り、遊女の身柄をもらい受けること)するという話が持ち上がります。
外記はこのことにショックを受けます。いくら高給取りの旗本という身分であっても、財力で勝つことはできないためです。
自暴自棄に陥った外記は、綾絹を連れ出します。しかし、すぐに露見し追手に見つかってしまいす。どうすることもできない二人が選んだ道は、心中。外記は綾絹を刺し、後を追って自害します。
このとき、外記は28歳、綾絹は19歳という若さでした。
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