100年も戦国大名を脅かした「一向一揆」はなぜ、どのように勢力を増していったのか【前編】:3ページ目
各地の一向一揆とその実像
他にも、一向一揆によって領主が脅かされた事件は各地で頻発しています。例えば、守護不入の特権を松平家康が侵害したことに対して一向一揆が抵抗した三河一向一揆では、家臣が離反するなどして、家康は対応に苦慮しています。
また織田信長との関係としては、のちに殲滅される長嶋一向一揆があります。また、信長が大阪本願寺に退去を迫ったものの、顕如が拒んだため11年もの戦いに発展し石山合戦も、一向一揆絡みと言えるでしょう。
それにしても、一向一揆は何を目指していたのでしょう?
加賀一向一揆は山城国一揆と似たところがあり、あたかも庶民が共産主義革命のように支配者を倒して自治を確立したかのように見えますが、必ずしもそうではありません。実は、信徒を動かしていた本願寺には幕府重鎮の後ろ盾があったのです。
一向一揆は、庶民が純粋に自治の獲得のために支配者を倒そうとしたわけではありません。その背後では、戦国時代ならではの権力者たちの利害関係がきちんと存在していたのです。
【後編】では、本願寺の強勢の背景にあったものを追っていきます。
参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022年